誰もが抱えるやましい秘密。秘密を隠しながら生きる、ありのままの“誰か”を描いた心を揺さぶるオムニバス——―『回游の森』

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回游の森
『回游の森』(灰原薬/太田出版)
目次

誰にもきっとある、人には言えない秘密をのぞき見る

人には誰しも、誰にも言えない秘密がある。

果たして、真に清廉潔白な人間などいるのだろうか。

秘密を持つのは決して悪いことではない。ただ一人で抱え、自己完結し、“秘密は秘密のまま”であれば何も問題はないのである。

『回游の森』は、そんな“やましさ”を抱えた人々の恋にまつわる物語を描いた短篇集だ。ジクジクと心を蝕む仄暗い秘密。それは自覚しただけで、変えようのない自分の本質。誰もがそっと心のうちに抱え、外へと漏れ出さないように注意を払いつつ、最期まで生きてゆくのだ。

本作では7つ(人)のストーリーが描かれている。

小児性愛を抱える男性の過去と現在を描いた「逃げ水」、長年の恋を断ち切らんとする女性と居合わせた男児を写した「金魚の墓」、同性の親友に恋する少女の心を綴った「ウォーター」、蛇しか愛せないデキる男の秘密を浮き彫りにする「アンダーグラス」、かつて愛した男性に小さな復讐を果たす「黒い森」、愛する妻の沈みゆく白い手に焦がれる男性を写した「舟幽霊」、いずれ死滅する恋に溺れた少女を描く「死滅回游」。

同じではなくとも、彼らの抱えるやましさには思わず共感してしまう。品行方正に見えるあの人にも、墓場まで抱える秘密があるのかもしれない。

著:灰原 薬
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人とは異なるやましさを抱え、誰もが皆“回游”する

いずれのストーリーも簡潔で読みやすく、それでいて共感度が高い。人には皆、見た目からは想像もつかない趣味嗜好があるものだ。

優しいタッチで描かれる作画は美しく、豊かな表情に言い表せない感情がしかと表現されている。中でも、モノローグの言葉選びは素晴らしく、上質な文芸作品を読んでいるよう。彼らの抱えるやましさは、彼らそのものである。堅実に生きてゆくため、その感情をコントロールし、飼い慣らさなくてはならない。

彼らの抱えるやましさは、偏見と隣り合わせのようにも思う。全ての小児性愛者が犯罪者になるわけではないし、同性愛は断じて禁忌ではない。しかし、彼らや周囲の心のどこかに“悪いこと”という認識があり、誰にも言えない秘密になってしまうのだろう。自分勝手な行動を起こさなければ、人とは異なる嗜好があっても罪ではない。

不毛な恋愛を表現する際、度々「死滅回游」という言葉が使われる。

それは温帯域に流れ着き、水温が下がることで子孫も残せず死滅してしまう熱帯や亜熱帯域の魚を指す「死滅回游魚」からきている。

幸せな結末がないことを理解していながら目の前の恋に溺れてしまう人々を表すには、確かにふさわしい言葉といえよう。だが、死滅回游は生物の営みの一部であり、無駄ではない。未来の同種の礎となるのである。

恋愛における死滅回游もまた、いつかの自分の糧になるのかもしれない。

見てはいけない誰かの秘密をのぞき見したような気持ちになる本作。ともすれば、彼らは自分自身であり、家族であり、友達である。秘密を詮索してはならない。心にうちに何を秘めようと、彼らが彼らであることに変わりはないのだから。

心に秘密を抱える私達の物語。生き辛さを抱く人間の本質を描いた名短篇集

『回游の森』は、『応天の門』(新潮社)などで人気を博す灰原薬氏によるオムニバス漫画である。過去に隔月刊漫画雑誌「マンガ・エロティクス・エフ」(太田出版)にて連載された7篇を収録している。

秘密を持つ人間のやましさに焦点を当てた短篇集。

個別のストーリーは登場人物が繋がっており、「彼らは周囲の誰かかもしれない」という身近さを感じさせる。物語を読み終えた時、そのタイトルの完成度に驚く。

私達の人生はまさに「回游」である。群れを成し、決まった季節に、一定のコースで移動する水性生物の行動を表す言葉。私達はいつだって、群れからはみ出さないよう必死になり、周りと同じであろうとする。はみ出すことは悪いことではない。だが人は皆、回遊を続けることで自分を守っているのだろう。

類を見ない読後感に包まれる、人間の本質を描いた良作。一読の価値あり!

著:灰原 薬
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この記事を書いた人

フリー編集・ライター。ライフスタイルやトラベルなど、扱うジャンルは多種多様。趣味は映画・ドラマ鑑賞。マンガも大好きで、日々ビビビと来る作品を模索中! 特に少年・青年向け、斬新な視点が好み。

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