『僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ』に学ぶ、“儚き日常”との誠実な向き合い方

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『僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ』(中村一般/シカク出版)

つぶさに街や自然を見つめ、繊細な筆致で描く気鋭のイラストレーター・マンガ家である中村一般が、2019~2020年に描いた日記マンガやイラストから選りすぐりをまとめた同人誌の自費出版バージョンに、2022年視点の描き下ろしマンガを加えて商業出版された初期作品集『僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ』。コピックとボールペンを使用して描かれた本作は、数コマ程度の短編マンガでありながら、まるでその一枚ずつが独立した写真や絵画であるかのような、強烈な存在感を放っている。何気なく見過ごしてしまいがちだが、決して忘れたくない日常のひとコマを丁寧に切り取った、「観察漫画」の魅力を紹介したい。

目次

「絵日記」から文字が消えた瞬間に立ち上る「日常」の饒舌さ

新型コロナウイルスが蔓延する以前の世界「2019年の人生」から幕を開ける本作。作者のアルバイト先だと想像される、街の小さなパン屋さんの店先での“小さな気づき”をはじめ、「ミニストップ」で買い求めた「ハロハロ ラムネ味」(270円)や「スターバックスコーヒー」の「プリンアラモードフラペチーノ」(669円)の食レポが、数コマから成るほっこりした絵日記のように、手書きの文字とともに綴られる。

かと思えば、自室で漫画を執筆中、みずからの後ろに佇んでいた死神が大鎌を首にかけていることに気付いた作者が、「頭ポンポン」しながら死神をすっかり手なずけている様子が、「仲良くしよう」というタイトルで登場したりもする。一見した限りは、目に映るものをただ掬い取っているだけのようでいて、隙間にブラックユーモアもちょこちょこ忍ばせる。作者ならではの視点と、斜め上を行く“笑い”の要素が絶妙な匙加減で配合されていて、ページをめくるたび、ハッとさせられた。

ふと気付くと漫画から文字がほぼなくなっていて、東京都・新宿駅東口の紀伊國屋書店の店先といった、実際にこれまで何度も目にしたことのある場所と、線路沿いの雑草や花、高架下といったありふれた光景のスケッチが、スナップ写真のように飛び込んできて、奇妙な感覚におそわれる。ノスタルジックな気持ちがこみあげてくるのは、独特の構図とタッチゆえだろうか。言葉がないのに恐ろしいほどに饒舌で、街並みや自然のはかなさや、その思いがけないしぶとさに触れた時に、作者が味わったであろう、複雑な感情まで追体験させられてしまうのだ。

著:中村一般
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「なくなっていくもの」には、受け入れるべきものと、受け入れてはいけないものがある

続く「2020年の人生」では、新型コロナウイルスの影響で「臨時休業」の張り紙がシャッターに貼られた飲食店の店先や、迷路のような東京都・三軒茶屋の路地裏。サボテンや誰かの飼い犬、閉店の決まった美容院の店先に「きれいな花です。育ててください。9月ごろ咲く」と書かれたメモ付きで並べられた植木鉢を目にした際の作者の思いが言葉と絵で記録されている。

そして、今回新たに描き加えられた「2022年の人生」には、「2020年7月3日」と、堤防工事中の「2022年5月27日」、「2022年8月24日」の二子玉川の河川敷の移り変わりが定点観測のように紹介されていて、変わりゆくものと、変わらずそこにあるものとの対比と共に、長らく「観察者」であり続けた作者の心境の変化と静かな決意があとがきに綴られる。

それを読みながら、かつて筆者自身もおよそ1カ月ぶりに電車に乗って渋谷の街へ出た時、純喫茶の店先で目にした元店主の息子による長文の張り紙を目にした瞬間の驚きと切なさがこみ上げて来て、「あのとき感じた無念さを忘れてはならない」という気持ちにさせられた。コロナ禍を挟み「『なくなっていくもの』には、受け入れるべきものと、受け入れてはいけないものがある」と気付いた作者が、これまで通り日課の散歩を続けていくなかで、何を考え、どんな行動を起こすのか。2023年以降の作者の人生が、気になって仕方がない。

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この記事を書いた人

インタビュアー・ライター。主にエンタメ分野を中心に、著名人のインタビューやコラムを多数手がける。多感な時期に1990年代のサブカルチャーにドップリ浸り、いまだその余韻を引きずっている。

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