※一部ネタバレあり
第1話からトップギアで攻めてくるストーリーが痛快
作風を表現する際に「異色」という言葉を見かける機会は多いが、今作ほどふさわしいと感じられる一作に出合うことは正直、少ないかもしれない。もちろん掲載誌の“伝統”のようなエキスもゼロではなく、例えば友情や努力といった、いわゆる“少年ジャンプらしさ”も随所に込められている。
しかし魅せる手段として「食用として人間を飼育している」という、ある種のディストピアのようなダークな世界観を持ち込んだことが、本作が異色たる所以の一つと言えるだろう。
異色さはそれだけではない。主人公のエマらが暮らすほのぼのとした孤児院「グレイス=フィールド ハウス(GFハウス)」の日常描写から物語は始まるのだが、彼女らの首筋には5桁からなる「認識番号(マイナンバー)」が刻まれ、全員が白の制服、そして子供たちの“目の色が変わる”毎日の勉強(テスト)など、違和感を覚える要素が次々と放り込まれてくる。
そういった意味では、1巻P9の2コマ目、カレンダーの12日に丸印と共に「conny」(※次ページでコニーという少女の名前であることは判明)と記されているのも、何かを暗示しているようで意味深。さらにエマたちが暮らす施設は閉ざされた門などがあり、外界とは行き来できないことが提示されるなど、どこまでも興味をそそってくる。
そして第1話後半で物語は一気に加速。自分たちが何者かの食料であることや、信頼していた母と慕う世話役の「ママ」が“向こう側”の人間であることが明かされる。ほのぼのとした描写から一転、テンポよく一気にサスペンス色を強めてくるのが見事。これが少年誌に連載されていたというのだから驚きだ。
伏線と回収の確実性、そこに心理戦をミックスした構成が読後の満足度を高める
本作の見どころは数多くあるが、衝撃の第1話で幕を開けた最初のエピソードにあたるGFハウスからの脱獄が、方向性と人気を決定づけたと言っても過言ではないだろう。
それらの要素を分解していくと、エマたちの首筋にある認識番号、人間を喰らう存在「鬼」、食用児を助けるような情報を施設に残している「ウィリアム・ミネルヴァ」など、数多くの謎が散りばめられたストーリーに行き当たる。
大きなものから小さなものまで謎や伏線はあり、それが毎話のように張り巡らされている。例えば第2話「出口」では、遊び中にはぐれてしまった子どもを探す際、ママ・イザベラが懐中時計をさりげなく見るのだが実は……というのが、該当話のラストでエマたちが思い至るシーンが描かれ回収される。
このように伏線の回答を読者の判断に委ねず丁寧に解明してくれる点も、読んでいて爽快。ひいては推理する醍醐味も堪能できる。
謎めいた世界観だけでなく、心理戦もまた見逃せない。逃げ出したいエマたちと逃がさないイザベラとの戦いだけでもハラハラするのに、そこに新たな刺客・シスターのクローネを投入してくるのが絶妙。しかもクローネは表ではイザベラの補佐としてエマたちを監視しつつ、ママの座を虎視眈々と狙っているのだからたまらない。
互いに思惑を気づかれないような化かし合いに打算的な駆け引きが重なり合うことで心理戦の深みが上乗せされ、さまざまな角度から楽しめる。
先が気になるもどかしさを感じるからこそ、完結しているありがたさを実感
改めてGFハウス脱獄までを読み返してみると、先ほど挙げたような作品自体の魅力が全て詰まっていることを再確認。しかも本作には「脱獄ファンタジー」というキャッチコピーがついているにも関わらず、無理に引き延ばすことなく37話で脱走エピソードは終結し、以降は外の世界での物語が展開していく。潔さもさることながら、エマたち同様、読者も全体像が把握できない不安と期待をめいっぱい感じさせてくれる構成に、思わず感心してしまう。
本編が完結を迎えた今、語れることは数多くある。「約束」や「ネバーランド」という言葉の意味、エマが主張する“共存”への道、そして彼女たちが戦った相手は“誰”なのかなど、考察できるテーマが無数にある。いずれまた別の機会に取り上げてみたい。
そもそもエマたちがハウスから脱出を試みる行為自体、何とも言えない閉塞感あふれる状況や社会を打破したいと、意識的にも無意識でも感じている現状に通じるものがある。さらに、圧倒的に絶望的かつ残酷ではあるが、その奥には友情や努力、勝利、逆境に立ち向かうといった“少年ジャンプらしさ”が確実に存在している。
ストーリーのみならず精緻な描写とダイナミックな構図がサスペンス感とファンタジー調を大いにあおり、躍動感あふれるシーンの数々も素晴らしい。最終巻である20巻が発売された今こそ、是非とも一気読みを勧めたい作品の一つだ。