『西成ユートピア』“日本最大のドヤ街”に広がる情景……1カ月の生活で見えるものとは

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『西成ユートピア』(原案・國友公司、漫画・ワダユウキ/新潮社)
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行き場を失った人間の「最終集積地」へ――“洗礼”から始まる大阪・西成暮らし

「嫌だァ…!…まだ死にたくない……!!」。その目つきは焦点が合っておらず、手には剃刀が握られている。大きな刺青の入った、見るからに“アブナイ”落ち武者ヘアーのおじさんに訳も分からぬまま追いかけられ、坊主頭の青年は恐怖で涙をあふれさせつつ逃げ出した。

……話は少し遡る。大学に7年も通った末に、就職もできぬまま卒業して収まったのが需要の少ない裏モノ系ライター、と落ちこぼれた日々を過ごすその青年――國やんは、いつものように金をせがむつもりで顔なじみの出版社・彩色社を訪ねていた。持参した原稿の話題もそこそこに本題へ移ろうとするも、その体たらくぶりを知る編集長から叱責を受ける。

「あなた…大阪市西成って知ってる?」「あいりん地区…の事ですか?」。泣きついた國やんに「仕事をあげる」と切り出した編集長が口にしたのは、古くから日雇い労働者の受け皿として訳アリな人々が仕事を求め流れ着く街、行き場を失った人間の「最終集積地」たる関西の地名だった。かくして金も、ほかに頼れるコネもない國やんは、西成で1カ月生活してルポを書くようと命じられ、 “全っっ然行きたくねぇ!”西成の地へと降り立つ。

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「治安」が「ヤバい」一方で「ディープ」に楽しめるまち……その少し昔の風景とは

「治安」「ヤバい」「スラム」……。Googleで検索すると、そのサジェスト(一緒に検索されやすい単語)には不穏な単語がちらほら。その一方で、ここ最近は行政も牽引する再開発が進み、YouTubeやSNSには海外からの観光客や若者らによる「ディープ」「知る人ぞ知る」などと銘打ったまちの楽しみ方を紹介する投稿があふれる。それが、「日本最大のドヤ街」とも称される大阪・西成だ。

『西成ユートピア』は2018年、そんな西成に78日間にわたり、いち住人として身を置いた経験を綴った、ルポライター/編集者の國友公司による書籍『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』(彩図社)を原案とするマンガだ。再開発が進む前の当時の西成には、馴染みがなくとも全国的に有名なその地名からそれとなく連想してしまう、マイナスイメージそのままの光景も広がる。そこに居場所を求めた著者が明かす、匂いたつようなまちの情景の象徴的、印象的な場面は、マンガとしてビジュアル化されるとより強烈で、目に焼き付く。

西成での滞在初日。到着早々に視界に飛び込んできた路上で平然と寝る人、衆目の前で殴る蹴るの暴行を加える人などを見なかったことにしつつ、國やんはひとまず宿探しに取り掛かった。居並ぶ宿々の安さを訝しんでいるところに絡んできた“汚ねぇおっさん”に促されるまま、彼が従業員だという簡易宿泊所――いわゆる「ドヤ」のひとつへと足を踏み入れる。丸坊主に大きなバッグの身なりから刑期明けと誤解されつつ、部屋へと通される國やん。

その後、ドヤ付設の大浴場を利用することにした國やんは、“見るからに”な風貌の先客たちに気圧されつつも、洗い場で隣り合った利用客に声をかけ、取材することを決意する。するとその横で急に、背中から両肩にかけて大きな刺青の入った落ち武者ヘアーのおじさんが怒鳴り声を上げ始めた。どうやら、自分にだけ見えている架空の人物に話しかけているらしいが、その手には剃刀が握られている。危険を察知した國やんが石鹸の泡も流さぬまま脱衣所へと逃げ出すと、おじさんも剃刀を手に追いかけてきて……というのが冒頭の展開だ。

こうして、ドヤの前に一糸まとわぬ姿のまま這いずり出た國やんは、同じく全裸で出てきたおじさんの怒声を浴びる。“架空の人物”を見失ったらしいおじさんはドヤへと戻っていったが、泣き叫ぶほどの恐怖を味わった國やんの股下には、黄色く生暖かい液体が広がっていく。

……國やんの少し情けない感じのあるキャラクター、そしてこのくだりの痴態はあくまでもマンガとしての翻案だが(モデルとなった國友は実際に長期の西成暮らしに臨み、また同様の“取材”を重ねている人物だけあり、原案では肝が据わっていると感じさせる場面が多い)、「“刺青のおじさん” が大浴場で剃刀を手に、自分にだけ見えている架空の人物に怒鳴り暴れる」は原案にあるエピソードそっくりそのままである。本作はこれ以降も、このように原案を踏まえたうえで当該エピソードをより強く印象付けるような翻案で描かれる。読む順序は指定しないので、ぜひ原案と併せて読むことを薦めたい。より没入できるはずだ。

著:國友公司
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見下していると言えばそうかもしれない、恐れ多い気もする……“外”で生きる身として

少々の脱線を許してほしい。「昔懐かしい昭和の風景が残る」という、誰もが一度は見聞きしたことがあるであろう、まちの情景を指す表現がある。筆者は文筆業に就こうとする際にとあるライター学校に通ったのだが、そこで「任意のまちなみを訪ね、ルポを書いてくる」といった課題が出たことがあった。その講評で、講師がこれを話題にしたのを覚えている。

受講生のひとりが、まさにこの「昔懐かしい昭和の風景が残る」という表現を使って、とある古い、言ってしまえば寂れた印象すらある商店街のルポを提出した。これに「紋切り型の表現だなあ」と苦笑した講師が話したのは、「ここは周辺地域の過疎化・高齢化が進んで、『こうなってしまった』商店街である」「外野が安直なラベリングをすることについて、もしかしたら無神経かも知れない、とふと立ち止まってみても」といった具合の内容だった。

……本作、そして原案と読んで「西成」にどっぷりと没入し、ふと思い出したのがこのことだった。「自分はまだここに来るような人間ではない。この街にいる人間を見下していると言えばそうかもしれないし、逆に私のような人間がこの街にいること自体、恐れ多いような気もするのだ」(『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』P233)。原案著者の國友が西成での滞在を振り返ってあとがきに記したくだりだが、これもまさに「安直なラベリング」への危惧だろう。西成に根付いていない者が「西成」をどう形容するかは、その実とても難しいのだ。

原案は、“西成の住人”となりながらも入れ込みすぎず、かといって他人行儀になりすぎず、という國友の絶妙な視点が冴えていた。第1巻は、苦い経験を経て「飯場」に潜り込んだ國やんに、とある危機が訪れ幕を閉じるが、マンガはここからが見ものだろう。“治安がヤバいスラム”にして、“ディープで知る人ぞ知る”まち・西成。ぜひ“体験”を薦めたい一作だ。

著:國友公司, 著:ワダユウキ
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この記事を書いた人

アニメやマンガが得意な(つもりの)フリーライター。
大阪日本橋(ポンバシ)ネタやオカルトネタ等も守備範囲。
好きなマンガジャンルはサスペンス、人間ドラマ、歴史・戦争モノなどなど。
新作やメディアミックスの話題作を中心に追いかけてます。

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