作者・稲空穂がX(旧Twitter)に投稿してきた、“小さな幸せ”が連なる物語を単行本化した『特別じゃない日』。老夫婦や女子高生、主婦、小学生、バイト青年など、ごくフツーの人々が送る何気ない日常生活を描きながら、そこに見え隠れする“小さな幸せ”を暖かく、ほっこりと感じさせてくれる作品です。
見落としていた日々の小さな出来事が物語に
第1巻『特別じゃない日』、第2巻『特別じゃない日 猫とご近所さん』、第3巻『特別じゃない日 一緒に食べよう』と続く『特別じゃない日』シリーズは、特別なことや劇的な変化などは取り立てて起こらない、当たり前の毎日をテーマにしています。それはまさに、“特別じゃない日”。
物語は、スマホで写真を撮ることが大好きな優しいおばあさんと、頑固&昔気質で「すまほ?」なおじいさんの、老夫婦が織りなす“ある日の光景”から始まります。
期待を抱きすぎて読み始めると肩透かしを食らいそうな、本当に何も起こらない平穏な“ある日”。あらすじを書くなら、「おじいさんがスマホで写真を撮れるようになりました」で、終わってしまうような。
なのに、読み進むにつれ優しい、ほっこりとした空気感に包まれて。読めばわかる、読まなければわからない、文字と文章で伝えられないもどかしさは、漫画が持つ力の源&原点ではないかとも思えたり。
作者自身が「(この作品を描き始めてから)今まで見落としていた日々の小さな出来事をすくい上げられるようになった」と語る想いにも、素直に同感できるはず。なぜなら、読み手も同じ気持ちを抱くでしょうから……。
気づけば何度も読み直している不思議な魅力
老夫婦~老夫婦の孫娘~孫娘がバイト先で一緒のお兄さん~お兄さんが暮らすアパートの大家さん~アパートの住人たち~住人がバイトするラーメン屋の常連客……といった具合に主人公を変えていく物語は、それぞれのキャラクターが何かしら繋がりながら、大きな人の輪が築かれていきます。
あるストーリーで、ほんのチョイ役的に登場したキャラクターが、数話後には主人公となって再び現れる。そんな輪廻も、本作品の巧みな演出・構成が生み出す面白さでしょう。
「あ、あの人だ」と、思わず数話前まで遡って読み返したくなる。もっといえば、冒頭まで戻って読み返したくなる。気づけば同じストーリーを何度も読み返している、不思議な魅力を秘めた作品でもあるわけで。
もちろん、読み返した分だけ感情も豊かになります。何ともいえない、ほっこりと幸せな気分に浸れる読後感もマシマシでしょうが、決して大盛りスープ濃厚3倍ラーメンにはなりません。喉越しが良い蕎麦のようにさりげなく、あっさりほっこり心地よく……。そんな味わいもまた、本作ならではのおいしさかもしれません。
誰もが持つ“大切なもの”から生まれる“小さな幸せ”
第2巻のサブタイトル“猫とご近所さん”にもあるように、物語が進むにつれ、バイト先のお兄さんが飼っている子猫にスポットが当たります。人間ではないものの、いわゆるキーパーソン的な存在として。
猫好きにはたまらない、「うんうん」と頷けるシーンも多いので、猫派の方にもおすすめの作品でしょう。この気まぐれな子猫のおかげで、お兄さんと大家さん、アパートの住人たち、彼らが出会う人々……と、人の輪は大きくなります。
拾った子猫に牛乳をあげ、自分の夕食(のり弁)より高価な猫缶を缶のまま食べさせ、人間用シャンプーで洗おうとする……なかなかのお兄さんですが(笑)、人付き合いが苦手だった彼もまた、子猫の奔放さに振り回されながら生きかたを変えていくのです。
1ページ1ページ、1カット1カットに心がこめられた物語には、人と人が向き合うシーンも数多く登場します。登場人物と一体化した読み手は、そこで生まれる笑顔を通し、納得や感心の想い、同感、協調といった様々な感情を心に抱くわけで。
人は、人によって自身を見つめ直し、新たな想いを抱くことができるもの。人と人が向き合うシチュエーションを、工夫されたコマ割りなどで大切に見せてくれる本作は、改めて漫画の原点、魅力、あるいは良心を感じさせてくれるのではないでしょうか。
そこでは必ず、“誰もがひとつは持っている大切なもの”が描き出されます。
あぁそうか、“小さな幸せ”とは、“大切なもの”の裏返しなんだ。
そう思えたなら、この『特別じゃない日』を読む時間は無駄じゃないはずです。
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