“恥の多い生涯”を終えたはずが、異世界の勇者に……転生者はあの私小説作家
「なるほど。ここが死後の世界というわけかね」。昭和23年6月13日、豪雨の夜。愛する人と、今まさに玉川上水の激流に身を投じんとしていたとある文豪は、ふいに現れたトラックに目をやった直後、気付くと西洋趣味の空間にいた。声をかけてきた案内役アネットによると、そこは異世界ザウバーベルグ。元いた世界で不幸せだったと判断された文豪は「異世界当選トラック」に導かれ、その異世界の勇者として救い出されたというのである。
しかし、「心中という生涯最高の幸せな時間」を邪魔された文豪は不満げ。アネットがこの手の異世界漫画では定番であるコンピュータゲーム的な「ステータスウインドウ」で調べると、文豪は重度の催眠剤カルモチン依存症で、「中毒状態」の状態異常を受けており、かつ残りのHPも1という瀕死状態。転移者が持つはずのスキルや才能もなかった。その弱さに、アネットは彼の転移を不手際だと詫びたが、文豪は「死に場所を探しているだけ」と意に介さず、そのまま立ち去ろうとする。その間際、せめて職業を身につけるよう言われると文豪はこう返した。「僕は生まれながらに作家だよ」。
“おれの苦しさ、わからんかね” カルモチン中毒、死にたがり、女たらし……センセーは「アンチ異世界」
玉川上水で愛人と心中する最期、「恥の多い生涯」という自虐、ラムネのように貪るカルモチン……。作中で明言こそされないが、『異世界失格』は近年もなお著作、およびその自己破滅型の人生が人々の関心を惹きつけてやまない、かの私小説作家を主人公とする異世界ファンタジーだ。元ネタとなった当人は「私は変人に非ず」と書き遺したが、本作における彼……“センセー”は、期待どおりの変人ぶりを発揮してくれるのが見どころとなる。
アネットによると、異世界に勇者として救い出された転移者は、例外なく超人的な力を持つ資格を与えられ、時にイキり、時にドヤりつつ旅立っていくもの。しかし、“センセー”はそうはいかない。いきなり動く大樹の魔物に遭遇すると、捕らえられているネコ耳少女の助けを求める声も真に受けず、魔物に首を絞められながら「グッド・バイ……」の一言。徐々に生命力を吸収するという大樹の魔物の能力で安らかに死ねるはずだったのだが、ステータスの猛毒を魔物が吸収して先に死んでしまったため、自分は“死に損なって”しまうのも、“アンチ異世界転生ファンタジー”を銘打つ所以だ。
“愛することは、いのちがけ”死にたがり作家が異世界でも死にたがると……?
その後、結果的に助ける形となったネコ耳少女に手を取られた“センセー”は、手首に残っていた紐の残骸に、元いた世界で永遠を誓い合った愛人“さっちゃん”の行方を想う。こうしてやっと前向きな顔をする“センセー”だが、その心中に浮かんだ「生きる意味」とは……。没後70余年。現代でもお馴染みの死にたがり作家が、異世界でも死にたがるとどうなってしまうのか。“センセー”の冴えわたる筆は、異世界をもたぶらかしていく。