SNS全盛時代に改めて『自虐の詩』を読む意味

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『自虐の詩』という4コマ漫画がある。プロの漫画家や漫画好きが「泣ける漫画」を選んだ際、必ず名前が挙がってくるカルト作品である。元は男性向け週刊誌の「週刊宝石(光文社)」に85〜90年に掲載されていた作品で、複数の主人公が登場するオムニバス形式であった。しかし、単行本化する際にそのなかの一遍「幸江とイサオシリーズ」に一本化することとなり、現在はこの「幸江とイサオシリーズ」をもって『自虐の詩』と呼ばれている。本作は、漫画好きなら敢えて今更紹介するまでもない大傑作である。しかし、SNSが浸透し、社会問題化してきた現在だからこそ、新たに本作を読む意味が生じてきているように思うのだ。

著:業田良家
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社会の底辺で生きる男女の姿を単調に描いたギャグ漫画

あさひ屋という定食屋で働く森田幸江は、内縁の夫で無職の葉山イサオを養って暮らしている。イサオは元ヤクザで、いままで金に困ったことがないため、働くということを知らず酒とギャンブルで日々を過ごしている。幸江は、少ない給料をやりくりして慎ましく暮らそうとするが、イサオは浪費を続け幸江の財布から金を抜き続ける…… どうしようもないヒモ男と、不幸が服を着て歩いているような幸江の夫婦生活を、ギャグに仕立て上げたのが本作『自虐の詩』である。

物語の前半はひたすらイサオに尽くす幸江と、そんな幸江の想いを無下に、ちゃぶ台をひっくり返すイサオという、定型ギャグだけが延々と繰り返される。正直、だらっとしていて面白くない。時々、幸江の境遇を見かねた隣の部屋に暮らすおばちゃんや、あさひ屋のマスターが助け舟を出すが、最後は、イサオがちゃぶ台をひっくり返して終わりである。だが、この退屈な日々が後々響いてくるので是非諦めずにこの展開に付いていってもらいたい。

劇中の描写では、どれだけ金をせびられようと、酔って暴れられようと、イサオといるときの幸江は幸せそうであり、イサオもまんざらではない。アップデートされた現代的な価値観の目で見ると、男に尽くす不幸な女というキャラクター造形に嫌悪感を示す方も多いかと思うが、こういう人は世の中に確実にいるのだということは、本作を読む上で忘れてはいけない要素である。連載されていた85から90年代というとバブルのまっただ中であるが、そうした好景気の裏で、円高によりつぶれてしまった輸出業や製造業の企業は多数あり、裏で貧困に喘いでいた人は確実にいたのである。

イサオはけんかっ早く酒に酔うとすぐにちゃぶ台をひっくり返すが、決して暴力夫ではない。実は、漫画全編を通して意図して幸江に手を上げる場面はない。こういう無言の仕草からふたりの関係性を読み取れという、実に計算された演出も本作が傑作と評される所以であろう。

壮絶な幸江の過去すら笑いにすることで生まれる感動

上巻のラスト、幸江が日々のちょっとした出来事で、小学生時代のトラウマを思い出し泣くという落ちの四コマが数本登場してから、幸江の過去の回想が始まり、物語が動き始める。幼い頃母に捨てられ、生活力のない父親の下で育てられた幸江は、小学生時代から借金取りのおじさんに頭を下げ、明日の食べ物のことで毎日頭を悩ます日々を送っていた。そのような環境下では、自己肯定感を育みようがない。幸江は、学校では事あるごとに心労で嘔吐し「私は私が嫌いよ」と心の中で叫んでいる。

上巻一冊を通じて延々と繰り返された幸江とイサオの単調なちゃぶ台返しギャグは、ここへきて効いてくる。この壮絶な幸江の過去があったからこそ、幸江にとって何気ないイサオとの日常は代え難い幸せの日々であることが分かるのだ。

どん底のなか中学生となった幸江は、そこで自分と似た境遇の貧しい少女・熊本さんと出会う。初めて、対等に本当の自分をさらけ出して付き合うことができる熊本さんは、幸江にとって生まれて初めての友達となった。熊本さんは、幸江と異なり貧乏でも常に堂々としており、幸江はそこに引かれていく。しかし、熊本さんが休んだある日、幸江はクラスの人気者である藤沢さんのグループにお昼を一緒に食べようと誘われ、徐々に彼女と仲良くなっていく。

藤沢さんのグループに属することで、それまで経験したことのない明るい学校生活を経験した幸江は、学校に復帰してきた熊本さんを無視し始める。しまいにはあろう事か、彼女が生活のため学校の備品を盗んでいたという事実を告げ口してしまう。

「これからは、クラスの人気者と一緒に明るい学校生活を送ろう…… 恋も経験しよう……」幸江としては恐らくそういう決意を持っての熊本さんの追い落としであったのだろう。しかし、そんな幸江の幸福は、予期せぬ形で崩壊する。商売女に入れ込んだ父親が、銀行強盗を起こしてしまうのだ。再び学校で孤独となった彼女に声をかけたのは、熊本さんであった……

この後の怒濤の展開は是非自分の目で確かめて欲しい。筆者が今までこの漫画を貸した相手で、泣かずに最後まで読み切った人はいない。

本作が素晴らしいのは、この暗く悲痛な幼少編すら、ギャグ漫画として描き切ったことであろう。小さなエピソードひとつひとつにきちんと笑いがあるため、どれだけ辛い話でも決して暗くはならない。そんな中にときどき、孤独に苛まれ後ろ姿で泣くコマが落ちとなるような話がある。明るい話の中にあるスパイスとして、下手な感動ものの作品よりもずっしりと心に響いてくる。

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タイトルにつけられた「自虐」を行っているのは誰なのか?

本稿では、ストーリーについてはこれ以上ふれない。ここではあえて、タイトルに冠された「自虐」について考えてみたい。

自虐とは、自分のことを必要以上に責め苛むこと、と辞書には記されている。たしかに、小学生時代の幸江は『私は私が嫌いよー』と叫ぶくらいに自分のことを嫌っているが、彼女の生い立ちの不幸を鑑みると、それは決して必要以上に苛んでいるとは思えない。彼女は自らを卑下してもよい生活を送っており、現在はその地獄を乗り越えて、愛する男と幸せな生活をようやく送ることができた段階だ。

では、自虐をしているのはもうひとりの主人公イサオなのだろうか? 裕福なヤクザ生活を捨て、決して綺麗とは言えない幸江との侘しい暮らしをしているイサオだが、彼は心底幸江に惚れており、劇中ではっきりと『俺は幸せだけど』と口にして幸江に伝えている。

つまり、作中で主人公ふたりは「自虐」はしていないのである。現在の幸江が、過去の自分のことを思い出して自虐しているという可能性もありえなくはないが、描かれていない以上憶測でしかない。

冒頭、本作が元々複数の主人公が登場するオムニバス作品だったものを、単行本化に当たってわざわざ再編集を施しているということを述べたが、裏を返せば、この「幸江とイサオシリーズ」こそがもっとも『自虐の詩』的な作品なものであると、作者や編集サイドは考えていたということだ。

主人公が自虐をしていないのに、『自虐の詩』とはどういうことなのだろうか。

ここで思い出して欲しいのは「自虐ネタ」というお笑い用語である。自虐をすることによって笑いを生む手法は、もはや一般用語として市民権を得ている。あまりにも定着してしまったため、私たちは特定の状況をみて「それは自虐ネタだね」と、お笑い芸人でもないのに指摘できてしまう。つまり、幸江とイサオの生活を見て、これは『自虐ネタ』だ『自虐の詩』だと判断してしまうのは我々読者なのではないだろうか。

読者は、本人たちが幸せと思っているのに

「働かない亭主を持って苦労したるわねえ」

「元々ヤクザで他人に迷惑をかけて生きてきたのに、なに幸せそうな暮らしをしてるんだろうね。」

と笑ってしまっているのだ。しかし、他人の幸せを勝手に不幸に分類する我々の感覚は、果たして健全なのだろうか。幸江の父親曰く、幸江の生活は『志の低い幸せ』なのだそうだ。が、果たして何と比較して幸江は志が低いのであろう。そして、志の低い幸江を笑う私たち読み手は、この夫婦より幸せなのだろうか。

多くの読者がまぎれもなく彼女たちより生活のレベルは上だろう。しかし、我々は幸江ほど毎日の暮らしに充足することができず、他人の生活をうらやんでしまっている。挙げ句の果てに自分より貧しい人の暮らしを、「自虐ネタみたい」と笑っている。この漫画を最後まで読み終わった時、私たちが無意識に持っていたこのような差別的な考えから生じた優位性は、音を立てて崩れ去っていく。

他人と比較するから、より良い先を目指すから、人は傷つき傷つけられる。

『幸や不幸はもういい

どちらにも等しく価値がある

人生には明らかに

意味がある』

(幸江)

SNS時代となり、他人の生活を軽々と覗く機会が異常に増えてしまった。しかし、いまこそ自分の幸せは自分の人生とは何なのかということを、本作を読むことをきっかけとして考え直してみて欲しい。

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出演:中谷美紀, 阿部寛, 遠藤憲一, 西田敏行  監督:堤幸彦
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この記事を書いた人

フリーの編集者。雑誌・Webを問わずさまざまな媒体にて編集・執筆を行っている。執筆の得意ジャンルはエンタメと歴史のため、無意識に長期連載になりがちな漫画にばかりはまってしまう。最近の悩みは、集めている漫画がほぼほぼ完結を諦めたような作品ばかりになってきたこと。

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