麻雀だからこそ許された持たざるものの活躍に注目!『咲‐Saki‐』

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咲
『咲‐Saki‐』小林立/スクウェア・エニックス
目次

架空部活漫画初期の傑作は何がすごかったのか

「架空部活漫画」とでも呼ぶべきジャンルの作品がある。

部活動を漫画にする場合、伝統的にそのテーマとして描かれたのは、高校野球漫画や高校サッカーであった。そうした運動部万歳路線に対するアンチテーゼとして、1985年にゆうきまさみが「光画部(一般的にいうところの写真部)」を主役とした『究極超人あ~る』を執筆。文化部に集う変人たちを面白おかしく描き、多くのファンを獲得した。さらに1989年には島本和彦が『逆境ナイン』にて、野球部そのものをパロディにしたギャグマンガを発表する。このあたりから、部活漫画なのに部活漫画とは言えないような珍妙な作品が増え始めた。

90年代に入ると、先人の作った部活+ギャグというフォーマットをベースに、『行け!!南国アイスホッケー部(久米田康治/小学館)』のアイスホッケー部、『いつでもお天気気分(羅川真里茂/白泉社)』の茶道部のようなマイナー部活を扱う作品が次々登場。さらには『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん (うすた京介/集英社)』の「セクシーコマンドー部」といった完全創作部活を扱う作品も現れた。

90年代のマイナー部活漫画や、架空部活漫画の多くは、部活をギャグの一要素としたり、あるいは部活以外の人間関係を落とし込むための装置でしかなかった。ところが、2006年に登場した本作『咲‐Saki‐』は、こうした慣例を軽々と取っ払ったのである。本作は、おそらく架空部活動の競技内容を、真正面から取り扱い大ヒットした最初の作品なのである。以後、サバゲー部や、戦車部、スクールアイドル部など、まじめに架空部活動に取り組む作品は一気に広がっていった。

麻雀だからこそ許される超展開とリアルの融合

本作をよく知らないという方のために、改めて本作の世界観設定を説明しよう。

「21世紀……

世界の麻雀競技人口は

一億人の大台を突破

我が国 日本でも

大規模な全国大会が毎年開催され

プロに直結する成績を残すべく

高校麻雀部員たちが覇を競っていた……

これは

その頂点を目指す

少女たちの軌跡——!!」(単行本一巻より)

主人公の宮永咲は高校一年生。プロ雀士を母にもち、異様に雀力の高い姉とともに幼いころから麻雀を打った結果、本人も知らないうちに高い雀力を身につけていた。咲は、清澄高校の麻雀部の部員として、ほかの部員と協力しながら全国高校麻雀大会の優勝を目指す。

言ってしまうなら、「野球」を「麻雀」に置き換えただけの甲子園漫画である……のだが、本作が白眉な所は、題材を、麻雀にしたところなのである。

麻雀は、言わずと知れた中国起源のテーブルゲーム。4人で山からカードにあたる牌を引いていき、13枚の手牌を使って決められた役をつくる。手元に来る牌は完全にランダムのため勝率はきれいに25%になりそうなものなのだが、実際に打ってみると強い人は何故かずっと勝っている。それは「捨て牌の状況から対戦相手が求めている牌を予測する能力」だったり、「表情から有効牌を予測する観察眼」だったり、あるいは「相手の観察眼を逆手に取ったフェイクを使う技術」などによるものだ。実際プロ雀士の勝率は30%以上になるらしい。

練習や対局経験を踏めば踏むほど麻雀は強くなる。これは事実だ。しかし、強くなっても最後は牌を引くという運が絡むため、どうしても100%の勝率をたたき出すことができない。そのため、ある程度麻雀を打つ人達が最後に頼みとするのは「ツキ」。すなわち今日は運が良かったといったオカルトになるのも特徴である。

大事な場面では手を握って開くを繰り返すルーティンを行ったり、一度牌を引く前に目を瞑るという願掛けを行う人も多いだろう。強くなればなるほど、強ければ強いほど、最後は神がかった力に頼りたくなるのが麻雀なのだ。過去多くの麻雀漫画は、こうしたオカルトめいた部分や麻雀強者が見せる強運を、「主人公は〇〇役が得意」という特殊能力として説明していた。本作でも、オカルト部分はキャラクターの持つ超能力として描写している。が、特徴的なのはオカルトの存在を肯定も否定もしないで曖昧なまま放置していることである。

主人公である咲は、カン(4枚同じ牌を集めること)後に山から当たり牌を引く役「嶺上開花」を確実に成功させる能力の持ち主。彼女が同じ牌を4枚集めればほぼ確実に勝つ能力と考えると、麻雀を知らない人でもその強さがわかるだろう。そんな彼女のライバルたちも曲者ぞろい。最後の牌で確実に上がる役「海底撈月」を100%決める少女、1巡先の未来を予測する少女、東場なら3巡目までに上がってしまう少女、ドラ(集めると点が高くなる牌)を自由自在に操作する少女などやりたい放題だ。北海道代表の高校のなかには、幸運をもたらす神々を召喚し、手牌を自分の望む形にする能力の持ち手もおり、こうした超能力者による、超次元麻雀が繰り広げられていく。

しかし、これだけ堂々といかさままがいの麻雀を打ちながらも、作者もキャラクターも、その存在をあくまで完全肯定していない。このことによって本作の面白さは加速している。本作は一見超能力バトル漫画であるが、その裏でリアルな格闘技漫画の要素も取り込んでいる。この食い合わせの悪い二要素をひとつにまとめられるのは、本作が麻雀という、あらゆる可能性が0ではない、オカルトが当たり前のゲームを扱っているからなのだ。

例えば咲の能力で勝つには、「カンを宣言する」必要がある。が、麻雀には「ポン」や「チー」という、特定の人の手番を飛ばす手段がある。一度これらで咲の手番を飛ばせば、彼女の引くはずだった当たり牌はほかの人の手牌に入ってしまう……。麻雀は4人で遊ぶゲームだからこそ、ルールだけでこうした超能力つぶしめいたことが簡単に行える。だからこそ、本作では能力があろうがあるまいが、どっちでもよいとしているのだ。

麻雀だからこそ許される持たざるものの活躍に注目!

一般的な超能力バトル漫画だと、超能力を持たない一般人は活躍できなくなる場合がほとんど。最終的には解説役に回ってしまうことが多い。だが、麻雀で戦うのならば話は別である。例えば咲のチームメイトでありもう一人の主人公である原村和は、かつての中学生大会チャンピオンであり、作中でも強者として描かれている。が、オカルトや能力の存在を完全に否定している論理派だ。

彼女の打ち筋は、常に対局経験と理論から導き出されたものなのに、それだけで相手を倒してしまう。異様な存在感の薄さで、卓上から自分の捨て牌を見えなくするという能力をもつ東横桃子戦は、彼女のらしさが発揮される最大の見せ場。存在感など気にせず目に映る情報をただ分析している原村にとって、存在感などというものは考慮するに値しない。なので東横の能力が効果を発揮せず純粋な雀力だけで相手をねじ伏せてしまう。オカルト否定の一般高校生こそが、最強なのではと思わせる。

また、南大阪代表で全国でも五指に入る強豪校・姫松高校大将の末原恭子も、特にめぼしい能力は劇中で描写されていない。彼女の本領は、常に「負けるかも」と思って打つことであり、その慎重さから、超能力も打牌の考慮に含んでしまう。「能力があるかも」「ならばその対策は?」を前提とした打ち方を続けて、特殊能力持ちの生徒たちを圧倒する。「ドラゴンボール、クリリン地球人最強説」ではないが、本作は麻雀だからこそできた、一般人が能力持ちをねじ伏せる場面を数多く見せてくれる漫画なのである。脇役に愛着を感じる人ほど、はまること間違いなしだろう。

本作の脇役に魅力を感じている人は、どうやら私だけではないらしい。本編の連載とは別に、同じ大会に出場している奈良県代表・阿知賀女子学院を主役に据えた『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』や、その阿知賀女子学院に敗れた千里山女子高校の先鋒選手・園城寺怜を主人公とした『怜‐Toki‐』など、次々と脇役にスポットを当てたスピンオフ作品が発表されている。

本作の大ヒットにより、麻雀業界にも新たな風が吹いたそうだ。我々世代は麻雀というと、どうしても賭博のイメージが付いて回る。だが、かわいい絵柄かつ熱血部活漫画として麻雀を描く本作のヒットにより、若い世代には麻雀と賭博というイメージが結びつかないまま始めた人も増えたらしい。

連載15年目に突入し、単行本もつい先日21巻が登場。本編ではついにインターハイ決勝が始まった。架空部活物の荒唐無稽な面白さを知る入門編として、そして何より、麻雀を知らない人も楽しめる麻雀漫画として本作をぜひおすすめしたい。

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この記事を書いた人

フリーの編集者。雑誌・Webを問わずさまざまな媒体にて編集・執筆を行っている。執筆の得意ジャンルはエンタメと歴史のため、無意識に長期連載になりがちな漫画にばかりはまってしまう。最近の悩みは、集めている漫画がほぼほぼ完結を諦めたような作品ばかりになってきたこと。

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