「子供を売るか 阿片(アヘン)を売るか」。隻眼の元兵士は覚悟を決めた
「子供を売るか 阿片(アヘン)を売るか」。昭和12年(1937年)、大日本帝国の傀儡国家たる満州。関東軍の兵士・日方勇は戦地で右目の視力を失い、兵糧を担う農業義勇軍に身を置いていた。
ともに満州にやってきた家族と貧しく生きるなか、母がペストを患い金が必要になった勇はある日、農場の片隅にアヘンの材料・アヘンケシの栽培場を見つける。
その薬効と中毒性で満州を蝕むアヘンは、裏社会に回せば大金に換わる。母と幼い兄弟のため、勇は意を決してアヘンの密造に手を染め、裏社会を牛耳る秘密結社・青幇(チンパン)の美女らとの取引に臨んだ。
そこであわやの危機に陥った勇だが、急に仲間を裏切ったその美女……麗華に救われた。青幇の首領の娘を名乗る彼女は、ビジネスパートナーとして組まないかと勇に持ちかける。
“神の薬”アヘンめぐる人びとがあおる「怖いもの見たさ」
今日においてはその数千年にもおよぶ歴史で、もたらした輝かしさ以上に愚かさが目に留まるようになってしまった“神の薬”アヘン。その名を聞いて、今なお続く医療的な用途より先に、かの有名なアヘン戦争などを思い浮かべてしまう人は少なくないだろう。
『満州アヘンスクワッド』は、その愚かさを裏付ける史実のひとつである、大日本帝国の占領下にあった満州のアヘン汚染を題材にしたクライムサスペンスだ。
ともすれば「ややこしそう」とハードルが高く見えがちな、第二次世界大戦前夜の歴史ものである。それでも冒頭からグッと引き込まれるのは、なんと言ってもアヘン汚染下にあって生き死にが紙一重である、満州に生きる人びとの表情の凄みではないだろうか。
「満州で一番軽いものは、人の命だ」とは、掲載サイト「コミックDAYS」の紹介文でも印象的に引用されている作中のセリフだ。
特に、開始から間もない第2話で登場する、青幇のアヘン窟に死人のように横たわる中毒者たちの描写が凄まじい。
肋骨の浮いた体つきで、勇が持ち込んだアヘンを試しその質を見極める男の変貌には、原作者の門馬司も指摘する「怖いもの見たさ」をあおる狂気が宿る(文春オンライン「なぜ満州はアヘンで滅びたのか? 人がクスリをやめられない意外な理由とは」)。
勇は植物に明るいことに加え、片目を失ったことで嗅覚が鋭くなったという設定があり、第1話ではそれがアヘンケシの栽培場を見つけることに繋がる。……のだが、ここにはそんな彼がこれでもかと感じた「悪臭」が、画面越しに漂ってくるような生々しさがあるのだ。
史実とフィクションのバランスを取るにあたって、門馬は「歴史をベースにする場合、史実に厳しい読者の方もいるのでなるべくなら当時起きた出来事や歴史の流れと、大きくズレないように」しつつ、「面白くなるのであれば、事実よりもフィクションを優先することが多い」と述べている(コミックDAYS-編集部ブログ-「【担当とわたし】『満州アヘンスクワッド』門馬司×鹿子×担当編集 対談」)。
これは主にストーリーテリングと登場人物を意図した弁だ。だが、アヘン中毒者の表情に代表される作中に生きる人びとの凄まじい顔つきの描写も、まず間違いなく後者を際立たせるものだろう。あらすじで「ややこしそう」と感じても、「怖いもの見たさ」でページをめくってみるといつの間にかのめり込んでいるはずだ。
勇の“アヘンスクワッド”の次なる販路は…?読み始めたら止まらないテンポも◎
決死の覚悟を決めたところに麗華というパートナーが現れ、いきなり本格化していくことになる勇のアヘンビジネス。冒頭のその勢いのまま進んでいく、物語の小気味よさも本作の見どころとして触れておきたい。
門馬は、前段で引用した「コミックDAYS」編集部ブログでの対談において、「展開のテンポを速くすることは、かなり意識してやっています」とも語っている。
第1巻の時点で既に、勇と麗華のアヘンビジネスに関東軍や青幇の思惑が交差し始めているが、次々と舞台が移り、次々と登場人物が増える続刊以降でもその盛り上がりはまったく衰えない。特に、勇の“スクワッド”に加わるキャラクターたちが良い。色恋にコメディにと、やり取りの幅がひろがってますます面白くなるのだ。
第1巻で引き込まれた読者には、ファンのひとりとして臆せず「次巻以降からが本番だよ」と言いたい。大重版で波に乗る、今後も目が離せない作品である。