ロシアによるウクライナ侵攻で、改めて世界が思い知ることになった“戦争”。かつて日本でも起きた「無防備な市民の戦争」を描いた作品『この世界の片隅に』を読むことで、カメラ越しに見る戦争の悲惨さが、より実感を伴うものになるかもしれません。
「こんな地味な作品はヒットするわけがない」
ロシアのウクライナ侵攻で改めてクローズアップされた、戦争の悲惨さ。無防備な市民ほど大きな被害を受ける“戦争の真実”に、思わず目を背けそうになった方も少なくないのではないでしょうか。
そこで思い起こされるのが、かつて日本も経験した空爆でしょう。第二次世界大戦・太平洋戦争下の日本本土で、各都市は米軍の無差別爆撃で焼き尽くされ、一般市民に多くの被害が生じました。
ですが、これまで制作されてきた戦争映画などは、軍による戦闘を描いた戦記物が多く、戦時下での一般市民の生活は、ほとんど描かれてこなかったジャンルだともいえます。
そこに視点を向けた漫画が、『この世界の片隅に』です。
戦争と市民を描いた作品といえば、同じ広島が舞台の『はだしのゲン』(中沢啓治/汐文社)を思い浮かべる方も多いでしょう。同作は作者自身の被爆体験を基にした作品だけに、リアルで壮絶な描写が問題視されたことが鮮明に記憶として残っている方も多いのではないのでしょうか。
ただ、そうした視点で本作を読むと、拍子抜けしてしまうかもしれません。原作コミックが映画化されたに際にも、「こんな地味な作品が、当たるわけがない」などと評されたもの。結果的には口コミから大ヒットにつながったわけですが、特に物語序盤は、“長閑な作風”がかえって印象的だったりもします。
大げさな装飾も演出もない戦時下の市民生活
こうした“長閑な作風”は、原作コミックを読むといっそう顕著に感じられるかもしれません。実はそこにも、原作コミックの真意が秘められているのです。
作者・こうの史代氏は、やはり広島を舞台に戦争を描いた『夕凪の街 桜の国』(双葉社)の作者としても知られます。とはいえ太平洋戦争も原爆も実体験していない戦後世代の方ですから、多くの読者と立場は同じといえるでしょう。
『夕凪の街 桜の国』の原作や映画を見れば、原爆を題材にしながらも、作品テーマが人々の日常に置かれていることがわかるでしょう。そんな作者が、改めて“戦争と市民生活”に目を向けたいと取り組んだ作品が、本作だったといいます。
作者は戦争体験者の方々を念入りに取材することで、戦争というテーマに構えることなく、戦時下での日常と市民生活を描こうと心がけたのでしょう。自身も手探り状態で描き進めたのかもしれませんが、その揺れ動く想いが、否応なしに戦争という現実に向き合わされていく、主人公の姿と重なり合うようにも思えます。だからこそ、読み手は物語の“日常”に引き込まれるのかもしれません。
広島県広島市内で生まれ育った主人公・すずは、結婚して同県呉市に移り住みます。日本海軍の本拠地で、軍港の街として発展してきた呉では、戦争が生活の一部だったはず。作品内でも、戦艦大和など軍港に浮かぶ艦船や、街中を歩く水兵などが、当たり前の光景として描かれます。
ですが、意外なほど緊迫感や臨場感は漂わず、ほのぼのした田舎暮らしばかりが印象に残ります。戦争は、どこか遠くの地で行なわれているもの。当時の市民にとって、それが偽らざる想いだったのでしょう。
戦争という歯車が狂わせていく日常
やがて日本本土への空襲が始まり、竹槍訓練などを始めることになったすずは、今が戦時下であることを思い知らされるように。兄が出征先のパプアニューギニアで戦死し、空襲で義父が負傷し、可愛がっていた姪が亡くなり……。すず自身も片腕を失い、家には焼夷弾が落ち……。
物語中盤以降は長閑な日常が一変し、戦争という歯車が目まぐるしく時を刻み始めます。悲しくも切ない、重苦しい空気が漂い始めることは確かですが、作風に悲壮感はありません。すずの明るく前向きなキャラクターが、読み手の心を強く支えてくれる故なのでしょうか。
一部のシチュエーションを除き、本作品に悲惨な戦争演出は見られません。でも、戦争に巻き込まれた一般市民の想い、破壊されていく日常、少しでも前向きに生きようとする姿は、心に深く刻み込まれていきます。
じっくりと描かれた情景は、そのひとつひとつがいつまでも心に残り、事あるごとに思い起こされるもの。小説のように印象的な読後感からは、“戦争”というテーマに向き合う想いが、じわじわと強くなっていくはず。それは、決して忘れてはいけない想いなのです。