19世紀後半のフランスに渡った日本人少女が、見知らぬ土地で成長していく日常を描いた心温まるファンタジードラマ『異国迷路のクロワーゼ』。その圧倒的な画力と、緻密な構成にも心打たれる作品なのですが、作者の急逝により未完作となってしまったことは残念でなりません……。
異文化の“異国迷路”に放り込まれた少女は……
物語の舞台となる19世紀後半といえば、日本では明治維新が起こり、世の中が180度変わり始めた頃。普仏戦争に敗れたフランスでは、ナポレオン三世の帝政が崩壊してフランス第三共和政に。日本史や世界史が好きな方にとっては、世界情勢が激変していく、もっとも面白い時代かもしれません。
当時の西欧は、初めて触れる極東・日本の文化が流行し、いわゆる“ジャポニスム”が一大ブームとなった時代でも。そんなフランス・パリの下町に、ひとりの日本人少女がやってきたことから物語は始まります。
長崎から奉公のため渡仏してきた13歳のヒロイン・湯音(ゆね)は、鉄工芸の看板店で、フランス人の店主である青年・クロードを助けて働くことに。日本とフランスの文化・風習・考え方の違いなどに戸惑う二人でしたが、やがてお互いを理解し、交流を深めていきます。純粋かつ素直な心の持ち主で、何事にも一生懸命&一途な“大和撫子”湯音に、クロードが惹かれていく……といったほうが良いかもしれません。
日本人とフランス人が互いを理解しようと手探りな状態は、まさに作品タイトルの“異国迷路”。その異文化交流を通して浮かび上がる、湯音の美しく、はかなく、可憐な魅力こそ、本作の味わい深さだったりします。
物語を通して浮かび上がる作者の天才的な感性
上流社会で日本文化が流行しているとはいえ、パリの下町ではまだまだ異端な民でしかなかった日本人少女。彼女の日々は、決して平穏無事とはいきません。奇異の目や差別とも向き合いながら、時にクロードに守られ、片言のフランス語も話せるようになった湯音は少しずつ成長していきます。
作品内では、その過程がじっくりと、時にもどかしくなるほどゆっくりと、そして丁寧に描かれます。こうした少女キャラ描き込みの緻密さは、女性作者ならではといえるかもしれません。
決して治安が良いとはいえなかった当時の西欧だけに、湯音もさまざまなトラブルに巻き込まれ……。でも、彼女とクロードはいつしか力を合わせ、難局を乗り越えていきます。
そこで読者は、知らず知らずのうちにクロード目線で湯音を見つめるように。湯音の成長や変化を客観的に見つめつつ、素直な驚きや感動を共有できるわけです。登場人物が最低限に絞られ、クロードと湯音の二人舞台が主となる、緻密な物語進行ゆえでしょう。
読み込むほどに感じさせられる、作者の天才的な感性。その脆そうで、儚そうで、でも緻密で、そして美しい浪漫もまた、本作ならではの魅力なのです。
圧倒的な画力ゆえに惜しまれる未完作
と同時に……というより、何より語るべきは、イラストレーター出身らしい作者の高い画力でしょう。見る者を圧倒する画力は、作者がイラスト・挿絵を担当したミステリー小説『GOSICK -ゴシック-』(桜庭一樹/KADOKAWA)でも遺憾なく発揮されています。
『異国迷路のクロワーゼ』、『GOSICK -ゴシック-』ともにアニメ化されていますが、そのキャラクターデザインにも作者の緻密な作画が生かされているので、アニメから入ってもその片鱗に触れることができるかと。
中でもキャラクターの美しさ、可憐さは特筆ものですが、いっぽうで背景画の丁寧な描き込みにも驚かされるはず。19世紀後半のフランスが舞台だけに、単なる街の風景や、人々の衣装だけを見ても、そこかしこに異国情緒があふれています。そうした光景を、ついさっき見てきたかのように生き生きと描き出す作者の画力&センスに、脱帽させられるコマも少なくありません。
ただ、そのすべてが仮定・過程のままになってしまったことは、返す返すも残念でなりません。作者の体調不良による休載から、急逝による未完作へ……。
物語上のさまざまなフラグは、すべて未解決なまま残されてしまいました。回想シーンの端々に挿し込まれていた湯音の過去、大人になっていく湯音とクロードの関係性など、作者が本当に描きたかったことは何だったのか……。今となっては推し量ることもままなりませんが、そこに想いを巡らせながら読むことで、素晴らしい作品を残してくれた作者への追悼になるのではないでしょうか。
なお、作者の一周忌(2018年1月)に合わせ、既刊コミックス1・2巻+コミックス未収録原稿を収めた愛蔵版『合本 異国迷路のクロワーゼ memoire』(KADOKAWA)が発刊されています。一般雑誌サイズのB5判550ページという豪華な装丁は、本作が多くのファンに愛され、惜しむ声が高いことを物語るようでもあります……。