『雨がしないこと』から学びたい価値観が異なる人同士の絶妙な距離感

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『雨がしないこと』(オカヤイヅミ/KADOKAWA)

『雨がしないこと』は、第26回手塚治虫文化賞で短編賞を受賞したオカヤイヅミが贈る、「恋をしない」30歳・花山雨を巡る群像劇。2023年12月12日に上・下2巻が同時刊行された。雨自身と、雨と接点のある複数の人物の視点から、日々のあれこれが描かれる。筆者がこれまで紹介してきた作品と共通するのは、狂言回し的な存在である雨自身が主体となって、自らについて語る回も登場すること。東京の郊外(立川あたり)の古びた平屋に引っ越した雨の日々の暮らしがとても魅力的で、他の登場人物との、つかず離れずの程よい距離感も好ましい。「人との距離感」を切り口に本作の魅力を紹介したい。

目次

花山雨を「アロマンティック・アセクシャル」とは定義しない新しさ

「恋をしない」という言い回しはふわっとしていてわかりにくいが、雨はきっと他者に恋愛感情も性的欲求も抱かない人……「アロマンティック・アセクシャル」という、性的マイノリティの人々をあらわす「LGBTQIA」のひとりと思われる。2022年に岸井ゆきのと高橋一生がダブル主演したNHKの連続ドラマ『恋せぬふたり』で「アロマンティック・アセクシャル」のふたりが描かれ割と一般的にも知られるようになったが、こういった言葉で定義づけされる以前は、雨のような人たちは「ちょっと変わった人」くらいの扱いで、本人は生きにくさを抱えながらも、別段注目されることもなかったはずだ。

実際、本作には「アロマンティック」や「アセクシャル」という言葉は一切登場しないし、他の登場人物たちがそういった言葉で雨のことを分類したりもしない。むしろ世の中で一般的とされる恋を「しない」雨のことを、少し都合よく感じているかのようにさえ映るくらいだ。なぜなら、恋愛相談をしても恋のライバルにはならないし、ひょっとするとそこには、「恋の楽しさも苦しさも知らないなんて、雨は人生を損している」という上から目線が含まれているとも言えなくはない。だが、当の雨自身は自らが性的マイノリティであるとも感じていないため、悲壮感がないどころか、飄々とマイペースに生きていて、とても満ち足りているように見える。それこそが、本作がいわゆる「時流に乗った作品」とは一線を画する、新しさを感じさせる点なのだ。

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花山雨を巡る人々の本音が駄々洩れすぎるがゆえの愛おしさ

ここで、ストーリーを簡潔に伝えるために、『雨がしないこと』下巻の冒頭を引用する。

「花山雨は三十歳になるOL。周囲から超マイペースの不思議な人と思われている。料理好き。そして、『雨ちゃんは恋をしない』。杉森トヨは雨の幼稚園からの幼馴染み。彼女は、恋人の顔が好き。剣菱京は雨と同じ職場で働く派遣社員で、上司の土井垣大介と不倫をし、契約を切られる。才木耕人は以前付き合っていた杉森トヨを通じて雨と知り合い、恋に疲れると雨に遭いに来る。原ノ井久四は一児の父。大学生の頃の雨と一度だけ『デート』をしたことを憶えている。広川晴江は雨の実母だが、今は再婚し、雨に自分を『晴江さん』と呼ぶように伝えた。花山雨を巡るさまざまな人生模様は、色めきざわめきながら、季節が変わるように移ろい流れてゆく。」

雨以外の登場人物たちの視点で描かれる章では、雨に対する感情がモノローグで駄々洩れになっていて、いわゆる“神の視点”で雨のことも彼らのことも観ている読者としては、自分勝手な彼らの考え方を目の当たりにしても、「人間なんて所詮こんなもんだよね。だってみんな自分が一番可愛いもんね。私だってそうだよ」と、妙に納得させられてしまう。

だが、その一方で、実は彼らの行動や価値観も、それぞれの家庭環境に起因していることが明らかになり、多かれ少なかれ人は縛られて生きていることを痛感させられる。だからこそ、時に周囲の反応に戸惑いながらも、自分らしい生き方を貫いているように見える雨に対し、「雨みたいに煩悩とは無縁の生き方が出来たら、幸せなんだろうな」と、まるでヴィム・ヴェンダース監督の映画『PERFECT DAYS』(2023年)で、役所広司が演じたトイレの清掃員・平山に羨望のまなざしを向けるのと似たような感覚で、花山雨に憧れる人もきっと多いことだろう。

花山雨と剣菱京。嚙み合わないふたりの絶妙な距離感こそが本作の真骨頂

筆者が上・下巻のエピソードの中でもっとも興味をそそられたのは、まるで正反対の生き方をしている雨と剣菱京が、「どこまでいっても噛み合わない」にも関わらず、空気を読まない(読めない)雨ならではの距離感のバグのせいで、決して会社の近くでもない雨の自宅で、一緒にすき焼きを作って食べることになるくだり。筆者は雨と同じわけではないけれど、明らかに剣菱京サイドの人間ではないから、京が雨に対して抱いている本心は、まるで自分に対して言われているかのようにも感じられ、自分の中での当たり前が相手の当たり前ではないことや、心の中で思っているだけで面と向かっては本人に言わないケースが世の中にはこれほどたくさんあるのだということを改めて思い知らされて、とても興味深かった。

これを読んでもいったい何のことだか腑に落ちないという人は、騙されたと思ってぜひ本書を手に取ってみてほしい。「まずは様子見で上巻だけにしよう」と思っても、読んだら絶対下巻も読みたくなるはずだから、最初から2冊まとめて購入することをオススメしたい。

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この記事を書いた人

インタビュアー・ライター。主にエンタメ分野を中心に、著名人のインタビューやコラムを多数手がける。多感な時期に1990年代のサブカルチャーにドップリ浸り、いまだその余韻を引きずっている。

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