『うみべのストーブ』心がザワザワし始めたとき、ふと手に取りたくなる大白小蟹短編集

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うみべのストーブ
『うみべのストーブ』(大白小蟹/リイド社)

ありふれた日常を独自の視点で切り取り、ほのかな光を当てる気鋭の漫画家・大白小蟹(おおしろ・こがに)による珠玉の7篇を1冊にまとめた初の短編集。人間の言葉が話せるストーブが、恋人に振られて傷心の主人公の男を誘って海へ行く表題作「うみべのストーブ」のほか、筆者が特にお気に入りの1篇「海の底」をピックアップ。仕事をしていてなんとなく心がザワザワし始めたとき、ふと手に取りたくなる大白小蟹ワールドの魅力を紹介したい。

目次

「家政婦は見た」ならぬ「ストーブは見た」とも言うべきシュールな設定

「うみべのストーブ」を始めて読んだとき、「なるほど~、この手があったか!」と唸らずにはいられなかった。あるひと組のカップルの出会いから別れまでを、同居するペットやロボット目線ならぬ、部屋の片隅のストーブの視点から描くという、シュールかつ斬新すぎるその視点に、度肝を抜かれたからだ。「さすがにストーブのセリフはモノローグだろう」と思いきや、途中からストーブがいきなり喋り出し、失恋して落ち込む主人公に「一緒に海を見に行こう」と誘いかけるのだから、見方によってはある種のホラーともいえる作品なのかもしれない。

なかでも、主人公のスミオと彼の元恋人であるえっちゃんとの同棲生活を回想するストーブが、「土曜の夜には3人で映画を観る。家族みたいに」とつぶやく場面は秀逸だ。暗闇で毛布をかぶったスミオとえっちゃんが並んでソファに腰かけテレビを見つめるその横で、ストーブが本当に彼らと映画を楽しんでいるかのように見えるからだ。二度と戻らないかけがえのない時間を共に過ごした証人として、ストーブがしっかりと機能しているのだ。

だからこそ、海を見ながら「えっちゃんは俺のこと好きじゃなくなったのか……」とつぶやくスミオに向かい、感極まって謎の液体をブワッとあふれさせたストーブが、「ふたりがお互いに好きだったこと。私はちゃんと覚えてる」「何度だって思い出すよ」と証言する優しさに心を打たれ、各話の巻末にそれぞれ添えられている、「2DKの部屋で始まって終わるストーブだけが観ていた映画」という小粋な短歌(?)にも、素直にしみじみとさせられた。

著:大白小蟹
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書かずとも幸せに暮らせる自分を「悔しい」と思えるのも才能のうち

本書の5話目に収録されているのが、学生時代は文芸部出身で小説を書くことを生きがいにしていた主人公・桃が、仕事が忙しくなって小説を書く時間が取れなくなり「悔しい。書かなくても幸せでいられるのが……」と苦悩する姿を描いた「海の底から」。タイトルは、会社員として働き、毎朝地下鉄で通勤する桃が「海の底へと潜っていくみたいにホームまでの階段を降りる」ことにちなんでいて、卒業後もずっと書き続けている友人たちを前に、「私が海底で地に足をつけて生きているんだとしたら、カスミンとあいぴーはマグロだ。泳ぎ続けないと、書き続けないと死んでしまう回遊魚。銀色に光ってまぶしい」と、「自分はふたりのようには生きられない」とわかりつつも、憧れずにいられない焦燥感が込められている。

かたや、「一度は就職してみたものの、会社員としての生活が合わずに体と心を壊し、流れ流れて今ギリギリ、フリーで生きている」というあいぴーと、「他にできることがないから小説を書くしかなかった」というカスミンからすれば、会社員としてまともに働けている桃の方がよっぽどすごくて、「結局自分は社会で働くにはどこか足りない人間なんだ」と思っている。まさに「隣の芝生は青い」でしかないのだが、「書くこと」で生きる実感を掴めた経験が一度でもある人にとっては、それがなくとも平穏無事に生きている今の自分に対して、「切実に書くべきことがない……」と悔しくなる気持ちもわからないでもない。

そんな桃の救いとなっているのが、一緒に暮らす真悟という恋人の存在であり、「切実さなんかなくてもさ、書きたいって思えることも才能の一つなんじゃない? 俺、文章書きたいとか思ったことなんかないもん」という、彼の何気ない言葉にハッとさせられる。学生の頃、小説を書いている桃の背中を見て「この人いま幸せそうだな」と思っていたという真悟は、「物をつくっているときって、お金がないこととか、将来の不安とかどうでもよくなって、心が凪いでいく感じがするじゃん。そういうのを知ってしまったら、他のことで心から満足するのは難しい気がするんだ」と、その名の通り悟りの境地にいる。「こんなに何もかも理解してくれる相手と暮らしていたら、そりゃ切実さもなくなるわな」とツッコみたくもなるが、桃やあいぴー、カスミンのどの立場も味わったことがある筆者としては、「書かないことには、何も始まらないんだよ……」と、今日も今日とてキーボードをひたすら叩き続けるしか術がない。でもすぐ横の本棚に「この漫画がある」と思うだけで、少し肩の力が抜ける。

著:大白小蟹
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この記事を書いた人

インタビュアー・ライター。主にエンタメ分野を中心に、著名人のインタビューやコラムを多数手がける。多感な時期に1990年代のサブカルチャーにドップリ浸り、いまだその余韻を引きずっている。

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