※本稿は筆者が以前メディアプラットフォーム「note」にて公開していた文書に加筆・修正を加えたものです。
みなさん「ちいかわ」って知ってますか?
「何を今さら」という声があちこちから聞こえてきそうですが、私、LINEスタンプで送られてくる可愛いやつくらいの認識しかなかったんです! たまたま、先日Web漫画を読ませてもらって衝撃を受けまして……慌てて単行本を買ってきました。個人的に「今語るべき作品はこれやろ!?」ということで、ここで一筆書かせていただこうと思います。
圧倒的に謎だらけの世界観!
Web発のコミックは今や業会のドル箱として数多く出版されています。間違いなくいずれも面白いです。が、その多くがやはり発表の場をWebに移したというだけで、良くも悪くもまだまだ「普通の漫画」でしかないと思います。
Web発の作品で斬新だと思ったのは『100日後に死ぬワニ』(きくちゆうき/小学館)でしょうか。あの作品は、24時間に一本ずつ公開されていくこととTwitterという共時性の高いSNSの相性の良さが、Web媒体ならではの体験となり非常に面白かったです(だから、時間をすっ飛ばしてしまった映画版や、リアルタイム性がなくなる書籍版は今ひとつに感じましたが)。
で、『ちいかわ』です。
本作は『100日後~』のような物語発表の構造的な仕掛けではなく、Webという媒体を使ったことによって、昭和世代とそれ以外のジェネレーションギャップを“無意識”に描いてしまっているところが、とても新しい作品なのです。
ちいかわは、超人気イラストレーターのナガノ氏がTwitterで不定期に発表している漫画シリーズです。書籍化した講談社の公式サイトによると “なんか小さくてかわいいやつ=通称「ちいかわ」たちが繰り広げる、楽しくて、切なくて、ちょっとハードな日々の物語”が全編を通して描かれるんだそうです。
発表当初は、作者のナガノ氏が「なんか小さくてかわいいやつになりたい」という独白から始まり、ナガノ氏がちいかわになったら何をやりたいかを淡々と描くというスタイルでした。ですが、少し乱暴だが誰とでも分け隔てなく接するウサギや、好奇心旺盛で前向きな猫のハチワレといったキャラクターが加わってきたことで、ちいかわ≒ナガノ氏という設定はなくなっていき、ちいかわたちが暮らす“ちいかわワールド”での出来事を描く漫画へと変わっていきました。
公式がハードと表現するその独特な世界観は、なんか小さくてかわいいやつが仲良く平和に過ごす裏で、不条理な目に遭い続けることを指しているのだと思います。というのも、ほのぼのした絵柄からは想像できないような、残酷な世界が本作では描かれているのです。
ちいかわたちの艱難辛苦は、
① ちいかわたちはこの世界における最下層の日雇い労働者階級であること。
② 最下層労働者たちの生活は、常に死の危険と隣り合わせであること。
③ 絶対的な階級社会があり、その不条理なシステムを作り上げている為政者層の姿は最下層階級からは決して見えないこと。
という3つの要因に起因していることが、読んでいるうちにわかってきます。この、ちいかわたちの生態や世界の謎……に一切迫らないところが、本作の最大の魅力となっているのです!
ちいかわから考える物語のリアリティラインとは?
作者のナガノ氏は、謎について匂わせこそするものの、その設定を深く掘る気も触れる気もあまりないようです。そもそもレギュラーメンバー3匹の中で、ハチワレを除き、彼らは日本語を話せませんので、世界の謎を掘ること自体が難しい作品なのです。おかげで、本来考察なんてしないような女の子たちが考察オタクみたいなムーブを演じているのも非常に好感が持てます。
ですが、私のような古い漫画読みからすると、ちいかわたちがこの社会に対しての不満や恐怖を感じるでもなく、毎日幸せそうに食事をしたり花畑で冠を作ったりしているのが、割と不思議で仕方がない。
連載が続くに従い、どうもちいかわたちは死んだり呪われたりすると魔物へと生まれ変わってしまうらしいことがわかってきました。ちいかわたちに仕事を斡旋している支配する側のキャラクター「鎧さん」たちは、こうした恐ろしい事実を知ったうえで、ちいかわたちに隠しながら魔物討伐の仕事をさせているような素振りもみえます。
通常の物語漫画ならば、やがて、ちいかわたちは世の中の矛盾に気づき、この世界から脱出することを目指すのでしょう。ところが、そういった壮大な方向に進めることを作者も、そして公開ごとにTwitterにコメントを寄せている読者も一切求めていないように見えるのです。
この違和感は、ちいかわたちが命の危機に見舞われる漫画のコメントになるほど顕著に表れてきます。ちいかわたちは討伐という、魔物を倒す仕事をして日銭を稼いでいます。そのため、生命の危機に見舞われるシーンが作中たくさん出てくるのですが、このことに対するTwitter上の反応の大半が
「ちいかわ、怖いなかよく頑張ったね」
「私も、大変なことがあってもちいかわを見習って頑張ろうと思う」
といった、前向きな意見ばかりなのです。
「いや、おかしいだろこの仕事!!」
というツッコミはほぼ無いし、ちいかわたちに討伐の仕事なんか断ればいいといった身も蓋もないコメントも皆無です。“彼らは何のためにこのようなひどい環境に身を置かれているのか”ということにほとんどの読者の意識が向いていないのです。
「漫画だからじゃない?」と思われた方は甘い!
物語を作るうえでターゲットとする読者と、作中のキャラクターとのリアリティラインの擦り合わせは非常に重要な要素となります。『ドラえもん』(藤子・F・不二雄/小学館)の世界では、ドラえもんというオーバーテクノロジーが劇中に存在していることに、のび太の両親や学校の先生が突っ込みを入れません。これは、読者である我々も同様です。なぜなら、あの漫画のメインターゲット層は子どもであることを藤子・F・不二雄がリアリティラインとして設定しており、読者も無意識にこれを受け入れているからです。
リアリティラインの対象を変えてしまうとどうなるか。
それは、同じく藤子・F・不二雄が短編として描いた「劇画・オバQ」(『藤子・F・不二雄[異色短編集]1 ミノタウロスの皿』(小学館)などに収録)を読むと分かりやすいかと思います。この作品は、大人になった正ちゃん(正太)がおばけのQ太郎と再会するという、原作の後日談なのですが、とことんリアリティラインを上げて、大人の目線の正ちゃんから語られています。なので、Q太郎は食費ばかりかかるし、いびきがうるさく睡眠を妨害する厄介ものとして、終始正ちゃんの奥さんから嫌われています。最後は、子どもができたことであっさり夢を捨てる正ちゃんを見ながら、「もう正ちゃんは子どもじゃない」と悟ったQ太郎が、そっと彼の元を去って物語が終わる、なんとも後味の悪い作品です。
先日最終回を迎え、話題となった『タコピーの原罪』(タイザン5/集英社)も明らかに『ドラえもん』のパロディ作品ですが、ターゲット年齢を青年向けにしたことで、家庭内DVやいじめといった凄惨な現場にドラえもん的な道具が役に立たない地獄絵図を生み出しました。
リアリティラインというのは、読者とキャラクターの間の一種の共犯関係によって成り立っています。なので僕は漫画を読み始めるとき、楽しみ方を間違えないように漫画のリアリティラインということを意識するのですが、ちいかわの嫌なくらい抑圧的な世界観の描写と、この描写を受け入れているメイン読者層である若者の設定したリアリティラインがどこにあるのか、当初、僕にはまったく見えませんでした。
平成生まれと昭和生まれで異なる世界の見え方
あまりにも気になったため、僕はちいかわを読むだけでは飽き足らず、作者のナガノ氏のほかの作品やら、過去のインタビュー記事なども読み漁るようになってしまいました。すっかりナガノワールドの虜になってしまったのです。
そして感じたのは、おそらくナガノ氏はリアリティラインなんて想定していないだろうなということです。素直に、自分が好きなもの面白いものを書いているだけ。ところが、そのことが、偶然令和の若者のリアリティラインとはばっちり合致してしまっただけではないだろうかと思ったのです。
ちいかわの倫理観は、「週刊少年ジャンプ」(集英社)の人気漫画『チェンソーマン』(藤本タツキ/集英社)や『呪術廻戦』(芥見下々/集英社)と非常に似ています。 “社会のシステムや不条理に対しては、盲目的に従い”、でも“仲間や友達のためなら命を投げ出し”、“自分の生活や、身近な人々に危機が及ぶ場合は苛烈な反撃が認められる”という、「ゴッサム・シティ」(『バットマン』シリーズの物語の舞台となる犯罪都市)の正義のルールのようなリアリティが、おそらく今の若者の根幹にあるのだろうなと。
というよりそうならざるを得なかったのかなと。というのも、現在30代半ばの僕ですら、バブル景気なんてものは幼稚園のころには終わっていたわけです。それより後に生まれた人にとっては社会というのは、ただただ不景気に縮小していくものなのでしょう。彼らが現実として見ていた社会とは、どんどん窮屈に生きづらくなっていくもので、そんなシュリンクしていく世界でも堂々と悪事を働くダメな政治家や社長といった大人の姿に象徴されるものでした。
おそらく、令和世代の若者の中には、「社会は変わらないし、決して良くはならない。その中で信じられるのは、悪事を働いていない仲間や友人、家族だけ」という共通感覚があるのだと思います。一度も社会が上昇していく時代を経験したことがない以上、政治で世の中を良くしたり、あるいは変革しない社会から逃げたりするという発想は、嘘くさいフィクションになのです。
だから、本作の、ある一定より上の年齢の漫画読みが見ると混乱してしまうような奇抜なリアリティラインの設定は、狙ったわけではないのです。きわめてシンプルに、普通に若者感覚で書いていったらこうなってしまっており、かつ、それがネット世代の同年代の読者にとってリアルに感じられているというそれだけなのでしょう。
と、こう書くととても悲しい結論なような気がしますが、僕はそれほど悲観的には考えていません。本作の中で描かれる、ちいかわたちの友情物語は、辛い物語も多いとはいえ、とにかく純粋で真っすぐで泣けるものばかりです。絶望してしまいそうなこんな世の中でも、友人や仲間のためを思い、涙を流しながら勇気をもって立ち向かっていく、ちいかわ。こうしたキャラクターに共感が集まることこそ、若い人たちがまだまだやれるという証明だと思うのです!
先日最新刊の3巻が発売され、2022年4月4日からはフジテレビ系列『めざましテレビ』内でテレビアニメ化も決定している本作。ほとんどの話は公式Twitterで公開されていますので、ぜひぜひ一度、ちいかわたちの辛くも健気な日々をのぞいてみてください。