※ややネタバレあり
カイン伯爵が次々と解決する、愛が起こした残酷で切ない殺人事件
愛は目に見えない。確かな形はなく、常に変化する。その激情に支配され、振り回され、罪を犯す者がいる。愛は美しく、時に残酷で、いつだって人々を惑わす。その正体は、何か。
『少年の孵化する音』は、濃密な愛の物語と真相に迫る謎解きが楽しめる良作である。金色がかった緑の神秘的な瞳を持つカイン・C・ハーグリーヴス伯爵が、遭遇した殺人事件の謎を解くゴシックサスペンスシリーズの第2弾。
全5シリーズからなるが、ストーリーはそれぞれ独立しているため、読み切り作品としても堪能できる。
舞台は19世紀後半のイギリス・ロンドン。カインが命を狙われることで、妹・マリーウェザーの存在を知る「吊られた男」。カインの悲劇的な生い立ちと執事・リフェールとの出会いを描いた表題作「少年の孵化する音」。マザーグースの歌に準えた、うら悲しい殺人事件を描く「誰がこまどり殺したの?」。愛する妻のため、古傷を隠し続けた男の陰鬱な人生を知る「切り刻まれ食べられたミス・プディングの悲劇」。カインの爵位を奪おうとした男と、男を愛する女の成れの果てを描いた「捩れた童話」。
様々な殺人事件に見る、多彩な愛の形。不確実な愛は何をもたらすか
どれも短いストーリーだが、濃密な人間ドラマや揺れ動く感情、得体の知れない愛が凝縮されていて、長編ミステリーの読後のような深い満足感が味わえる。ユニークなコマ割り、効果的な過去シーンの挿入、印象的なモノローグは特に秀逸で、読む者をその独特な世界観へと引き込む力を持っている。
作画は繊細で美麗であるが、登場人物達の内から溢れる感情はしっかりと表情に表れていて、彼らの心情を雄弁に語っている。人を殺すに至る彼らの根底には愛があり、それが歪んでしまうことで、許されざる衝動へと変化していく。誰かの愛を縛り付けることも、独占することも不可能であるのに、そのことに気付けない。愛は決して、一方的で独りよがりなものであってはならないのだ。彼らの姿を客観的に見て、何か感じ取ることができるかもしれない。
「切り刻まれ食べられたミス・プディングの悲劇」に、私の心を掴んで離さないモノローグがある。辛く苦しい過去を抱えた男が、たった一度の妻の拒絶に耐え切れず自死してしまう。深く後悔した妻は、この先一生男だけを愛することを誓うのだった。――「ラドクリフはその死をもって最愛の女を永遠に手に入れた」。果たしてそれが、男の望みであったかは分からない。
現実でも、愛に起因する殺人事件は後をたたない。私はこの物語で、曖昧な愛という感情の恐ろしさを見た気がした。
たった一度だからこそ、死は生きている者に鮮烈な印象を残す。何より尊い命を、愛に利用してはならない。男の最期は、決して妻への愛ではなかった。各ストーリーに組み込まれた、いつの時代も変わらない濃厚な人間ドラマに浸り、各々の行き先を辿るのも面白い。
手軽に読めるのに、強烈で圧倒的な印象を与える極上ミステリー漫画
『少年の孵化する音』は、由貴香織里氏により、『花とゆめ』や『別冊花とゆめ』にて1991年より不定期で掲載された。一連のシリーズには本作のほかにも、『忘れられたジュリエット』、『カフカ −kafka−』、全2巻の『赤い羊の刻印』、全8巻の『ゴッド チャイルド』がある。1999年には、ドラマCD化も果たした。
ストーリーはイギリスの童謡・歌謡であるマザーグースや児童小説『不思議の国のアリス』をモチーフにしたものも多く、それらを知ることでより味わい深いものとなる。本シリーズはミステリーとしても良質で、ドラマとしても卓越しているので、興味を持った人は、美しいカインの成長とともに、ぜひ通して伯爵カインシリーズを存分に味わってほしい。