突然の母親の死……まず何をすれば?「だから葬儀屋がいるんだ」
「ウソだろ……だってこの前電話で話したばっかなのに……」。医療機器メーカーの営業の仕事に追われる日々を過ごす梵(そよぎ)孝太郎はある日、大腸ガンを患っていた母親の死に接することになった。まず何をしたらいいかすら分からない。それでも喪主として葬儀を行わなければならない。孝太郎は、幼い頃に亡くなった父の葬儀の場で母が火葬後の遺骨を“食べる”姿を見た影響から、葬儀に対して戸惑いを感じるだけでなく、苦手意識も持っていた。
慌てふためく孝太郎の視界に、以前手渡された名刺が飛び込んできた。「嗣江(しえ)葬儀店 代表取締役社長 嗣江宗助」。嗣江は、得意先の葬儀に嫌々立ち会っていた孝太郎に“骨かみ”の風習を説き、また出会った際には仕事のやりがいに悩む彼をハッとさせる言葉を放った、葬儀屋らしからぬ風貌の男だ。「葬儀をどういうものにするか最終的に決めるのはお前だ」。依頼者となった孝太郎に、嗣江が言う。母をどう弔うべきか。孝太郎による葬儀が始まる。
訪れた父との別れ……一風変わった“葬儀屋”の姿に思い出す見送りの時
父が死んだ。それを筆者がいよいよ思い知ったのは、入院していたホスピス併設の病院まで迎えに来てくれた葬儀社の方が、横たわる父に深々と頭を下げつつ両の手の平を合わせる場に立ち会った、まさにその時だった。父が患っていると分かった2年前から、一向に上向く様子のない、だんだんとやせ衰えていく姿に徐々に覚悟を決めていたとはいえ、それでもあまりにも早かった。あと少しで還暦を迎えるところだった父との別れは、今年3月に訪れた。
父は合掌される対象となってしまった。改めて突きつけられた事実はショックだったが、もはや物言わぬ抜け殻となった父がそうなってすぐに、最高の礼儀と敬意を払ってくれた葬儀社の方の姿は、早くも慰めとなった。父の死に際しては、本当に数えきれないくらいの方々の世話になったが、中でもわずか数日のみの付き合いとなった葬儀社の方々のことは、今後も胸に残り続けるであろう。ひと段落を経て、そんな経験から目に留まった『終のひと』で描かれる嗣江たちの姿に、あの時の感謝を思い出している。
いざ当事者になってみると痛感するが、なかなか平常心ではいられない状況において、粛々と冷静に手を貸し、やるべきことがきちんとなされるよう導くプロの存在は、本当に心強い。葬儀において喪主は、嗣江も言うとおり「全部」を決めることになる。まだ祖父母も健在なのに、まさかの“順番違い”で向き合うことになってしまった父の葬儀だ。喪主の母を助ける身として、何も分かりようがないのにそんな立場を味わうことになったが、スムーズな打ち合わせと進行にはただ助けられた。「だから葬儀屋がいる」のだ。
作中、特に自分の経験に響いたのは、嗣江のもとで働く“フミさん”が語った「ご遺族の“気持ちになって”寄り添う事とご遺族の“気持ちを考えて”寄り添うことは違う」という言葉だろうか。葬儀当日、新幹線の運転士を勤め上げることができなかった父の無念を思い、馴染みのある車両の写真を用意していたが、いざその場に接すると、棺に入れるタイミングを計りかねた。すると傍らに立つ葬儀社の方が、穏やかに微笑みながらアシストしてくれた。なんとか思いを形にできたのは、紛れもなくその寄り添いのおかげだった。
「おもしれーからやってんだよ」リアルな“矜持”が胸を打つ
お世話になった葬儀社の方々は、当たり前ながら涙を見せずにいてくれた。だが唯一、斎場から火葬場へと向かう霊柩車の車中、打ち合わせの際から父の葬儀を担当してくれた方が、ハンドルを握りながら無言で頬に涙を伝わせていた。感情をコントロールし続けつつ、それでいて父のためにふと泣いてくれたであろう姿は、強く目に焼き付いた。その方は当然ながら、火葬場に着けばそんな素振りは一切見せない表情に戻った。本当のプロだった。
葬儀屋という仕事について「人の為になってやりがいを感じる」と表現する孝太郎に、嗣江は「人の為」も「やりがい」も否定したうえで「人生の締めくくり その物語の最期 そんなのに触れられる仕事なんて他にはねーだろ。おもしれーからやってんだよ」と返す。
もちろん、葬儀社で働く方がみなそのように考えて働いているわけではないだろう。だが、嗣江のような“矜持”は、少なからずとも胸に抱いているのではないか。嗣江葬儀店の面々から世話になった方々のそんな気持ちを思った、出会うべき時に出会ったマンガとなった。