『みどりちゃん、あのね』は、旧態依然としたジェンダー意識をぶった斬る世直し漫画

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『みどりちゃん、あのね』(大白小蟹)

うみべのストーブ 大白小蟹短編集』(リイド社)の大白小蟹が、トゥーヴァージンズのウェブ漫画サイト「路草」で開始した初連載『みどりちゃん、あのね』。「親戚が集まれば、男どもが飲んで騒いでいる間も、女たちは台所で立ちっぱなしで働く」という田舎の旧態依然としたジェンダー意識を、祖父の一周忌のために帰省した叔母のみどりが、長年のうっぷんを晴らすかのように改革する様についてが、野球好きの小学生・静の視点を通して描かれる。悪しき慣習に真正面から疑問を投げかけることで、「そういうもの」と諦めていた状況が激変する様を捉えた本作の魅力を紹介したい。

目次

旧家に生まれた少女の呪いを解き放つヒーロー・みどりちゃん

主人公の静の父は旧家の長男であることから、お盆も正月もそれ以外も年がら年中、多くの親戚が自宅に集まってくる。玄関にはずらりと靴が並び、叔父さん連中は昼間から酒を飲んでは「ガッハッハ」と大騒ぎする一方で、母や叔母は一日中台所に立ちっぱなし。二人の兄は、従兄弟たちと部屋で遊んでいるのに、女である自分はいつも必ず手伝いをさせられる。

使った食器もゴミも片づけず、平気で帰っていく叔父さんたちの姿を横目に、「ここは静とお母さんのお家なのに、親戚中からそうじゃないって言われているみたい」と、モヤモヤする静だったが、今回の法事では、彼女の心を激しく揺さぶる「台風」が巻き起こる。

業を煮やしたみどりちゃんが、「静、もういいよ。やんなくていいよ」と、静の兄を小遣いで釣って仲間に引き入れ、「静、ごめんね」と謝った上で、相変わらず偉そうにふんぞり返っている父や叔父さんたちの目を覚ますべく、正論をぶつけて冷や水を浴びせかけたのだ。

「大人としてどうあるべきか」を考え、行動した先にある新たな日常

大切なのは流行りのジェンダー論に乗っかることではなく、あらゆる立場に置かれた一人ひとりが、いま目の前にいて生きている人たちのことを優先しながら、悪しき慣習に流されることなく「成熟した大人としてどうあるべきか」を自分自身の頭で考えること。そして、誰かに負荷を負わせるのではなく、多少混乱が起きようともみんなで協力しながら、とにかく自分の手や足を動かすこと。それによってかえって仕事が増えたとしても、決して文句を言わずに温かい目で見守ること。そうすることで、何十年、何百年と変わらなかった歴史に風穴が開き、新たな日常を生み出せる可能性があることを、『みどりちゃん、あのね』の第1話『みどりちゃん、上陸」の最後から2ぺージ目の見開きで、痛いほど思い知らされた。

“大人代表”のみどりの謝罪でかつての自分も救われ、決意を新たに

みどりの勇ましき雄姿と、野球好きならではの静のナイスアシストぶりは、ぜひ漫画を読んで確認していただきたいが、みどりに謝罪された静が「なんでみどりちゃんが謝るの……?」「変なの」と戸惑う一方で、「だけど静は、もうずっと長いこと大人の人たちに謝ってほしかったんだって、そのとき初めて気づいたんでした」と心情を吐露する場面は、親戚の叔父さんたちに絡まれるのが大嫌いだったかつての自分とも重なるようで、どこか救われたような気持ちになった。だからこそ、みどりが「叔父さんにはたくさんお世話になってきたし、感謝もしてます。でも酔っぱらっている姿を見るたびに叔父さんのこと嫌いになりました」「こんな大人になりたくないって何度も思いました」と見事にぶった斬る姿に、溜飲が下がったのだ。

今後の『みどりちゃん、あのね』でいったいどんな世直しが行われるのか。連載の行方に期待を寄せつつも、みどりちゃんを単なる世直しのヒーローとして崇めるのではなく、まずは自分自身の頭で考えることから習慣づけねば……と、決意を新たにさせられた。

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この記事を書いた人

インタビュアー・ライター。主にエンタメ分野を中心に、著名人のインタビューやコラムを多数手がける。多感な時期に1990年代のサブカルチャーにドップリ浸り、いまだその余韻を引きずっている。

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