「夢は無慈悲で残酷です」進路指導の“夢なし先生”こそ残酷、なのか?
夢にはくれぐれも気を付けてください――。栄森高等学校で3学期を迎えた2年生の三田梢はある日の放課後、担任の数学教師である高梨律から学期に一度の進路面談に呼び出されていた。元キャリアコンサルタントで、そのあまりに現実的な進路指導方針から“夢なし先生”とあだ名される高梨と何度話そうが、梢が志望する進路は一貫している。声優だ。
対する高梨の口ぶりも変わらない。声優志望者は毎年3万人ずつ増えていて、その総数は30万人以上を数えること。人気事務所の所属オーディションは500倍、有名アニメのオーディションはおよそ7000倍以上であること。高梨は倍率からそのハードルの高さを説いたうえで、生徒を食い物にする養成所ビジネスや、23歳以上になると極端にチャンスが経る声優のアイドル化の問題、過去に発生したことがある、オーディション合格を盾にした決定権者によるわいせつ事件にも触れるなど、つらつらとネガティブな情報ばかりを並べる。
「三田さんはなぜ声優になりたいのですか?」。
“大切なのはリスクを正確に把握して覚悟を持つこと”と前置いたうえでこう訊ねる高梨に、梢は
「笑われるから言わない」
と誤魔化しつつ、それでも
「気持ちが変わることはない」
と押し切った。やがて迎えた卒業の日。式で代理のピアノ奏者としてプロ並みの演奏を披露していた高梨は、
「ひとつお願いがあります」
と不定期で開く同窓会にできる限り参加するようにだけ話し、梢たちを送り出した。
高校卒業後。在学時からの志望通りに声優専門学校へと進んだ梢は、レッスンとアルバイトにだけ打ち込む日々を送り、やがて声優事務所の所属オーディションへと臨んだ。こうして、レッスン料の支払いが必要な“預かり”の身ながら業界中堅のアイスプロに所属することになった梢は、“三田こずえ”の芸名でついに声優への第一歩を踏み出す……。
声優・大塚明夫いわく「やめておけ」――「夢を追う」人に待つ残酷な現実と、その先の人生
「声優だけはやめておけ」
筆者が思わず、久々に書棚から取り出した新書の印象的な惹き句だ。最近では『ルパン三世』の二代目次元大介役の、と書くと通りが良いだろうか。その渋く低い重厚感のある声色は誰もが一度は聞いたことがあるであろう、声優・俳優の大塚明夫の著書として話題となった『声優魂』(大塚明夫/星海社)である。大塚の名前と書名からいかにも声優志望者向きと見えるが、その内容には仕事論として普遍的に通じるものが多い。
『声優魂』に、例えばこんな一文がある。「若い人が陥りやすい一番の罠は、本当にやりたいわけではないことを、『それが自分の一番やりたいことだ』と思い込んでしまうことなのです」……。
そんな『声優魂』を参考文献のひとつに挙げる、『夢なし先生の進路指導』。巻末の謝辞に並ぶ名前と、『声優魂』を含む膨大な資料の数からうかがえる緻密な取材ぶりに裏打ちされた「夢を追う」残酷な現実のリアリティが、ほろ苦くも身に染みていく教師マンガである。
声優志望者の梢を主人公にした巻頭エピソードは、あくまでも「夢」を追う生徒の物語の一編に過ぎない。本作は梢のように、“夢なし先生”高梨の進路指導を振り切って「夢」を追うも……という生徒に待ち受ける“「夢」の現実”と、そこから彼らを救い出そうと卒業後でもその手を差し伸べる、高梨による“諦めるための授業”の数々を描く作品なのだ。
……こう書くとその後の展開が読めてしまうかと思うが、声優として歩み始めた梢も、残念ながらこの“「夢」の現実”という壁に突き当たってしまう。まさに高梨が懸念していたようなことをきっかけとして、気付けばそこにという“夢のどん底”へ落ちてしまうのだ。しかしここで、「同窓会にできる限り参加するように」という高梨の言葉が効いてくる。
作品の勘どころだけにここからは実際に読んでほしいものだが、“夢のどん底”へと至った梢がここに来て高梨に明かす、「なぜ声優になろうと思ったのか」というきっかけの“些細さ”は、多くの人の共感を呼ぶのではないかと思う。人が夢を抱くきっかけとは、得てして梢のようなものであるはずだ。そして、これもやはり詳細は本編に譲るが、高梨が梢に説く「諦めることも悪くない」話は、これから「夢」を追うつもりの読者はもちろん、既に「夢」を諦めた経験のある読者にも響くことだろう。「夢」破れた先にも人生はあるのだ。
「夢を諦める姿は美しい。」の真意とは……「夢」を追う人にも、諦めた人にも響く“授業”
第1巻には、梢の「声優」のエピソードのほか「鉄道運転士」のエピソード、そしてさわりまでになるが「メンズアイドル」のエピソードが収められている。「メンズアイドル」のエピソードはこれからが本番、というところだが、「鉄道運転士」も「声優」と負けず劣らずのリアリティある“「夢」の現実”が身に迫ってくる内容だ。帯文の「夢を諦める姿は美しい。」については、どちらかといえば本エピソードからより感じ取れるかと思う。“「夢」の正体”に気付いてからが、人生の本番だ。「夢」を諦めた一読者として、そう考えている。
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