『あくたの死に際』は夢に手を出すべきタイプの人間かどうかをジャッジする指標

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『あくたの死に際』(竹屋まり子/小学館)

小学館の漫画アプリ「マンガワン」&WEBマンガサイト「裏サンデー」で連載中の、竹屋まり子の『あくたの死に際』(第1巻発売中)。大企業に就職し、仕事もプライベートも順調だった主人公・黒田マコトが、ある日メンタルを病み、会社を休職中に学生時代の文芸部の後輩・黄泉野季郎と再会。卒業後、売れっ子小説家になっていた黄泉野に焚き付けられ、黒田は再び筆を執るが、待ち受けていたのは想像を絶するような辛く険しい道だった――。

「自分には才能がない」と、一度は創作に見切りをつけたはずの黒田が、ドSの後輩・黄泉野のあおりにまんまとのって、一心不乱にパソコンに向かって書き始めるまでの疾走感に釘付けになる。新人賞の締め切り間際にパソコンがフリーズするという最悪のトラブルに見舞われ諦めかけるも、黄泉野のアシストにより応募締め切り直前にマウスをクリックして送信するシーンの臨場感たるや、手に汗握らずにはいられない。夢を追うことの尊さと苦しみを、真正面から捉えて話題沸騰中の本作の魅力を紹介したい。

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「書くこと」の苦悩と快楽の赤裸々な描写が読者にもたらす高揚感

過去に本コラムで紹介してきた漫画の中にも、主人公のなかでくすぶり消えかけていたクリエイティブ熱が、何かのきっかけで再燃して一気に走り出す場面を描いた作品はいくつかあった。たとえば、ファッションの世界の舞台裏を描いた、はるな檸檬の『ファッション!!』(文藝春秋)や、漫画編集者の最後のあがきを描いた松本大洋の『東京ヒゴロ』(小学館)などがそれにあたる。だが「書くこと」の苦悩と快楽を赤裸々に映し出す『あくたの死に際』を読んだ時の衝撃は、ライターという仕事をしている自分にとって、とてもひと言では言い尽くせないほどの痛みと高揚感をもたらした。

本書の興味深いところは、主人公の黒田のみならず、その周辺人物たちの複雑な心理描写を、直接的なセリフではなく、一瞬立ち上がる邪悪さを感じさせる表情のみで巧みに表現し、読み手の心をざわつかせる点にある。ふたたび夢を追いかけようとする黒田のことを応援するようなそぶりを見せながら、嫉妬や打算といった感情から明らかに裏で妨害しようとする人たちの、ある意味とても人間らしいとも言える後ろ暗さが、誰の心の中にもあるかもしれないドス黒い部分を絶妙に刺激するのだ。

本当に好きなことを仕事にするか、それとも、趣味のままでとどめておくべきか

自分が心からやりたいと思うことに本気で挑戦することに対する恐怖心は、きっとそれが上手くいかなかったときに自分が受けるであろう、ダメージの大きさに比例する気がしてならない。もちろんうまくいく可能性もゼロではないが、現実にはほんの一握りの人しか成功しない狭き門を前にしたときに、いばらの道を進んで引き返せなくなるより、さまざまな理由をつけて諦める方が、心の平穏を保てることを多くの人が自身の経験値として知っている。「仕方がない」という言葉がいかに自分自身を納得させるための便利な言葉であるか。夢を諦めたことのある人なら痛いほど身に覚えがあるはずだ。だが、「先輩は書きたいと思わないんですか?」「病むくらい書きたいんじゃないんですか?」と、黄泉野が黒田に何度も問いかけ、「(売れっ子作家になった後輩の)俺のことどう思ってます?」とストレートに詰め寄った時、「殺したい……」と咄嗟に口にした黒田に対し、「そう思うあなたは、作家ですよ」と笑顔で告げる黄泉野のことを、天使と見るか、悪魔と見るかは大きな分かれ目だ。

好きなことを仕事にするか、それとも、趣味のままでとどめておくべきか。果たしてどちらが幸せなのかは、きっと死ぬまでわからない。だが、本書で主人公・黒田に降りかかる辛苦を目の当たりにしながら、ふと我が身を振り返った時、「あぁ、夢に手を出してもやっぱりろくなことはない」と思うか、あるいは「生きている実感を味わうためには、黒田のように捨て身で生きるしかない」と思うか。自分はそのどちらのタイプなのかを把握するだけでも、「夢」に再び手を出すべきかどうかの、ひとつのジャッジにはなるかもしれない。

著:竹屋まり子
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この記事を書いた人

インタビュアー・ライター。主にエンタメ分野を中心に、著名人のインタビューやコラムを多数手がける。多感な時期に1990年代のサブカルチャーにドップリ浸り、いまだその余韻を引きずっている。

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