「そんなばかげた話と思われましょうが」出会いのきっかけは“素敵なお庭”
「素敵なお庭。まるで楽園やわ」。若白髪と目元の濃いクマにそのハードワークぶりが見てとれるシステムエンジニアの三橋残は、会社に命じられるまま在宅勤務をする運びとなった。残は寝に帰るだけのミニマリスト然としていた自宅を整備。バルコニーにはファンタジー漫画好きが高じて憧れを持つ、異国情緒のある小さな庭を構えた。するとある日、その庭が目に留まったらしい隣室に住む女性が、ベランダ越しに顔を覗かせ声をかけてきた。
大学院で考古学を専攻しているという彼女……泉奈津と残は、これをきっかけに“お隣さん”として顔を合わせては会話を交わす仲となった。マスクを外した顔立ちにしれっと「男前」と言うなど、奈津はふとした言動で残を惑わせていく。そんな奈津は、長期不在時に心配して訪ねた様子をインターホンの不在記録に残していた残に、「やさしなあ」と通話アプリのIDを伝えてくる。こうして、後に結婚する彼らは“連絡を取り合う隣人”となる……。
大人になると訪れにくい、しかし時にふと舞い降りる「きっかけ」
大人になると、何事についてもなかなか「きっかけ」がないとは、成人年齢を超えある程度の年月を生きているならばそれなりに思うところではないだろうか。社会という大きな歯車に一度組み込まれると、悲しきかな。それを組み替えようとするには、けっこうな時間と根気を要するのだ。しかし一方で、そんな「きっかけ」は時にふと舞い降りてきたりもする。『テレワァク与太話』は、コロナ禍においてテレワークを命じられた社会人男性がそれを思わぬ「きっかけ」として、踏み出せずにいた一歩を踏み出す姿を描く恋愛モノだ。
TVドラマ化を果たした『あせとせっけん』(講談社)の山田金鉄による本作。カバー裏のあとがきにもある通り、元々は講談社の「MANGA DAY to DAY」というコロナ禍での日常をテーマにした読切企画における一作だ。その当時は続きを描く想定はなかったが、コロナ情勢の展望が見えてきたことを期に、本作で著者初の「1巻完結の短期集中連載」に挑んだらしい。
1話は(細かく手が加えてあるものの)ほぼ読切そのままだが、著者もあとがきで「テレワァクの2人は気に入ってました」と書いている通り、“つかみ”の時点から伝わってくる2人の人物像がとにかくいい。不器用ながらも誠実さが見える残、“天然たらし”感があり人懐っこくもミステリアスな奈津の恋の進展から、冒頭2、3話も読めば目が離せなくなる。
残が「ばかげた話」と言っているように、ベランダでの会話という出会いのきっかけはいかにも創作ならではのシチュエーションだ。一方で、努めて冷静かつ慎重に関係の構築を図っていこうとする残(“いざ”という時の準備までそれが徹底していて笑ってしまう)、さっぱりしているように見せて急に詰めてきたりもする奈津の関係性にはリアルな温度を感じる。そんな彼らの“積み上げ”がしっかりしているだけに、最終盤の残の「ばかげた」行動には胸が熱くなる。その表情に、込み上げるものを感じる読者は少なくないはずだ。
日々もどかしい想いを抱える大人が、ふとした「きっかけ」を掴む物語として
1話の時点で彼らが結ばれることは明言されており、大人のふたりがコロナ禍で自分たちらしく関係性を進展させていく日々を送る、という地に足を付けたストーリーなので、当然ながら大きな起伏があるわけでないが、思わず一気読みしてしまうはず。ジャンルとしては恋愛モノだが、日々もどかしい想いを抱える大人がふとした「きっかけ」を掴む物語として読めば、読了後は残に想いを寄せて晴れやかな気持ちになれるのではないかと思う。今、このご時世を“大人”として生きている人に薦めたい、一歩踏み出す勇気を貰える短編だ。
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