「得体の知れない変なやつ」が求められることもある……例えばラジオのパーソナリティあたりで。
「得体の知れないやつが1人2人必要だ」。
1988年、全曜日がもれなく有名人で埋まるという成熟期にあった日本一有名なラジオ番組『オールナイトニッポン(ANN)』で、この“ぜいたく”な方針が打ち出されたタイミングがあったという。
そこで、本人いわく「オーディション番組に出ていた変なやつ」として白羽の矢が立ったのが、今や「ラジオパーソナリティの有名人といえば」と巷に聞けばまず名前が挙がってくるであろう存在となった、伊集院光だった(『日経トレンディ』2020年11月号)。
当時、まだ無名だった伊集院を“発見”し、「なんとかしてやりたい」と取り立てた放送作家の藤井青銅(藤井は伊集院が言うところのオーディション番組『激突!あごはずしショー』において、彼の替え歌芸を審査員として見ていた)は、自分と思いを同じくする安岡喜郎ディレクターの手引きで実現した『ANN』への伊集院の大抜擢を「世間はだ~れも伊集院光なんて知らないんですよ。世間どころか、ニッポン放送内でも知ってる人は少ない。……こんな男を、よくぞ押し込んだものだと感心するし、また編成もよくぞ入れてくれたもんだと思いますね」と振り返っている(藤井青銅『ラジオにもほどがある』)。
しかしそれでも、藤井が初めて見た時点から「なにかありそうな気がする」と感じていたらしい(藤井いわく、『激突!あごはずしショー』における彼は、替え歌の出来はさておき「トークのレベルが一定してる」のが「たいしたもん」だったそうだ)伊集院が、その期待どおりに『ANN』を盛り上げ、その後もラジオパーソナリティとして名を上げていったのは我々の知るとおりだ。
……と、(伊集院は全くの素人ではなく、“発見”された当時は落語家=話芸のプロとして修行中の身だった、というバックヤードがあるのだが)「得体の知れない変なやつ」が面白がられ、あれよあれよとラジオのメインパーソナリティを務めることになる、という出来事が実際にもあったことを踏まえておくと、その設定を少しばかり割増しで面白がれる(ような気がする)マンガがある。
本職はスープカレー屋の店員ながら、その素人離れした“べしゃり”の上手さと面白さを業界人に見出され、誘われるままにラジオのメインパーソナリティを務めることになる……という伊集院を思わせる経験を辿るオンナ(既読者には伝わるはずだが、彼女は「女性」や「女」ではなく「オンナ」と表記したくなるキャラクターである)・鼓田ミナレが主人公の『波よ聞いてくれ』だ。
「………なんかこの声 ミナレさんに似てますね」――“発見”されたスープカレー屋のオンナ店員
『波よ聞いてくれ』の舞台となるのは北海道の札幌。失恋という悲劇から5日目、大荒れ必至のタイミングにあったスープカレー屋「パンとカレーの夢空間 VOYAGER(ボイジャー)」の店員・鼓田ミナレは、酒場で知り合ったばかりの地元FM局「藻岩山ラジオ」のディレクター・麻藤兼嗣を相手に、元彼に関する恨みつらみを(持ち前の巧みな弁舌をこれでもかと駆使して)飲んだ勢いのままにぶっちゃけてしまった。
そしてその翌日。一転してけろりとボイジャーに出勤してきたミナレは、店内BGMとしてかけられている藻岩山ラジオのとある番組内の1コーナーで、昨晩の自分の失恋トークがそのまま流され始めたことに気付く。
麻藤は、札幌市内で酷い失恋をした人たちにその経験を赤裸々に語ってもらうそのコーナー「街角ロスト・ラブ(仮)」で流すネタとして、まさにうってつけだったミナレとの会話を密録していたのだ。
激高したミナレは、勤務中にもかかわらず店を飛び出し、そのまま藻岩山ラジオの放送中のスタジオに突撃する。
必死の形相でオンエアを止めようとするも、悪びれる様子のない麻藤の「止めるからにゃアンタが間を持たせるんだぜ?」という口車に乗せられてしまったミナレは、急きょアドリブの弁明をリアルタイムで電波に乗せることに。それが思いのほか好評となったことをきっかけに、やがて麻藤はミナレに「冠番組を持ってみる気はないか?」と提案してくる。
試験電波放送のような深夜3時半という時間帯、20分枠のその番組の名こそ『波よ聞いてくれ』……。
「お前は地の果てまでも追いつめて殺す!!」……我々はそんな電波を待っていた
作者は沙村広明だと書くと、木村拓哉を主演に迎えた実写映画版でも知られる代表作『無限の住人』のイメージが頭をよぎる未読者も多そうな『波よ聞いてくれ』だが、第1巻のあとがきによると本作のコンセプトは「今度こそ間違いなく、人の死なない漫画」である。
まあ、そう言いつつも、きな臭い場面では『無限の住人』の剣戟を幻視するような激しい火花が散る展開もあるのが、一筋縄ではいかない人間関係の描写に妙がある沙村ならではの作風なのだが。
上記のあらすじでは、「ミナレはこれからどのようにラジオパーソナリティとして名を馳せていくのだろうか」的な、今後の彼女のシンデレラストーリーを予感させるような部分までしか触れていない。しかし、本作の軸となるのはあくまでも、ミナレを中心としたボキャブラリーに富むキャラクター同士のウィットの効いた掛け合いと、(2020年4月~6月放送のTVアニメでも「予測不可能な無軌道ストーリー」を謳っていたが)そんな彼女たちから生まれるスラップスティックな展開だ。「目で聴く漫画」や「読むラジオ」を銘打つ所以である。
第1話のハイライトとでも言うべき、元彼に向けた「お前は地の果てまでも追いつめて殺す!!」という迫真の叫びを皮切りに、プライベートそのままに全く物おじせず、ラジオの電波によってパブリックへと飛び出していくことになるミナレ。
その活躍ぶりには、カッコつけずに酸いも甘いも共有することでリスナーと“共犯関係”を結んでいくことに一番の楽しみがある、ラジオパーソナリティかくあるべきという姿も浮かび上がってくる。
「確実に信頼を置いている人たちが1%聞いているすごさってラジオの特性です」。
冒頭でも引用した『日経トレンディ』2020年11月号における、「ラジオの聴取率は昔も今も1%である」ことを前置いたうえでの伊集院の言葉だ。まあ、『波よ聞いてくれ』を一読してミナレの“電波”にやられてしまう割合は、まず1%ではきかないだろうが。