40過ぎで非正規、独身……やたらと気になる“かわいそうな人”藤井さん
「つまらない……目に映るすべてが」。家を買う。2人目が産まれる。ゴルフを始めた。今乗っている車は。そんな話題ばかりが飛び交う友人の結婚式を作り笑いで乗り切った帰り、その輪で唯一の独り身であった若手会社員の田中はふと脳内で独り言つ。そんな彼には、最近どうも視界に入りがちな同僚がいる。40過ぎで非正規社員、独身の“どう見てもサエない”藤井だ。「この人に比べたら俺はまだマシだ」。田中は藤井という“下”の存在を慰めにしていた。
「藤井さん…?」。そんな折、田中はある休日に近所でたまたま藤井を見かけた。コロッケを買い食いして歩くその背を、思わず尾け始める。公園の池で見つけた、亀の甲羅に書かれた落書きを消す。公共施設で親子連れ向けの展示を眺める。洋菓子店でケーキを選ぶ。……日が暮れるまでそんな藤井を見届けた田中は「ムダな休日を過ごしてしまった」と後悔。しかし帰ろうとしたその時、路上でいざこざに巻き込まれ負傷した藤井に、ついに田中は声をかけた。
他人が基準の“物差し”に囚われる日々――顧みるきっかけは「孤独な中年男」
最近の小中学生は辛そうだ。「見習え」と、国外の最上位リーグで歴史を塗り替える活躍を続ける、かの著名スポーツ選手の姿勢をしきりに刷り込まれるらしい。23年末、X(旧Twitter)で注目されたポストに端を発する話だが、世界のスポーツ史に名を残すであろう人物を「真似しろ」と繰り返されるのはたしかに酷だろう。これは極端な例だが、こういった「ああなるべき・なってはいけない」などの他人が基準の“物差し”は、誰しもを取り巻くものである。我々は自ずから、もしくは外部的圧力によって、多かれ少なかれそれに囚われて生きている。
だが『路傍のフジイ~偉大なる凡人からの便り~』の藤井は、どうもそういった“物差し”を気にしない日々を送っていると見える。本作はそんな藤井を映し鏡に、彼に関わった人々が自らを縛る“物差し”を顧みる姿を描くマンガだ。中心となるのは藤井だが、物語は彼の周囲の人々の視点から描かれ、その内心が綴られていく。藤井“から”語られないところが良さだ。
冒頭に記したなりゆきから、実は近所に住んでいた藤井宅へと招かれた田中は、社内での姿から「なんかかわいそうな人」とのイメージを抱いていた彼への認識を変えていくことになる。室内は意外と普通。机には組みかけのジグソーパズルが広がっている。小説に昆虫の飼い方、DIYなどの本を揃え、聞けば水彩画や皿を焼く趣味まで。「なんか…人生楽しそうですね」。田中の皮肉交じりの言葉に、藤井は臆面もなく「はい。楽しいです」と答えてくる。
「そうやって自分に言い聞かせないとやってられないのかもしれないな」。それでも藤井に対する色眼鏡が外れない田中だが、これも趣味のひとつであるらしいギターの弾き語りの披露を頼み、その下手ながらも実直な演奏ぶりを横目に思い至った。「この人がつまらない人間に見えたのは、俺自身がつまらないやつだからだ」。演奏を見届けた田中の目から、ひと筋の涙がこぼれる。「また遊びに来てもいいですか?」。藤井にそう言い、田中は帰路に着く。
こうして“物差し”に変化の兆しが見られた田中を皮切りに、藤井の生き方は図らずも周囲に影響を与えていく。藤井と田中の同僚の女性で、ある事情から周囲、特に男性に関して“物差し”のある石川も、藤井に大いに感化されるひとりとなる。その一方で、そんな藤井に“しっくりこない”様子の人物も描かれるのは本作の誠実さだろう。やはり藤井らの同僚である矢部は、紹介した「良いやつら」と打ち解ける様子もなく帰っていく藤井の背を、頭を掻きつつ見送る。矢部の「無理してでも人に好かれたい」姿勢も、別に間違いではないのである。
実は掴みどころのない「自分らしさ」――藤井の生きざまに何を見るか
「自分のものなのに、他人が使うことのほうが多いものは何か?」という、よく知られたなぞなぞがある。答えは「名前」なのだが、鑑みれば「自分」とはことごとく外部との関わり、外部を基準にして規定されているものであり、実は「自分らしさ」とは霧や霞のようなものであると気付く。藤井は“物差し”を気にせず「自分らしく」生きている、と読みたくなるが、その実は“物差し”の設け方、「自分らしさ」の見出し方に非常に個性がある、ということなのだろう。感化されるも、感化されぬも良し。誰もの映し鏡となりうる藤井の生きざまだ。
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