若くもないが老いすぎてもいないアラフォーの向き合う現実とは?『あした死ぬには、』

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あした死ぬには、
『あした死ぬには、』雁須磨子/太田出版

迫りくる更年期障害や目減りしていく預金残高、「死」との距離の近さに怯えるアラフォー女性の苦悩を、コミカルな要素も交えながらも包み隠さず描いて話題を呼んだ本作『あした死ぬには、』。普段フィーチャーされにくい「アラフォーのお悩み博覧会」のような、本作の魅力を紹介したい。

目次

トラウマをえぐられながらも、登場人物たちと顔なじみの気分に

やっとやりたい仕事ができるようになってきたというのに、長時間パソコンの画面を見ていると目がショボショボしてくるし、過去に何度か限界を越えてぶっ倒れた経験もあるから「壊れる前にセーブせねば」とは思いながらも、「今やらないでどうする!」と突っ走らずにはいられない。こんなにも心と身体がちぐはぐな状態のまま、一体いつまで持つんだろう……と、途方に暮れることもたびたび。

雁須磨子の『あした死ぬには、』は私にとって「ページをめくる指が止まらないタイプの漫画」とはある意味対極に位置する、むしろトラウマをえぐるような漫画である。映画の宣伝会社に勤める42歳の主人公・本奈多子(ほんな・さわこ)のハードな日常は、かつて同じ仕事をしていた経験のある自分には手に取るように理解できるゆえ、もはや「あるある」を通り越して正直目にするのもツラいのだ。

しかも、ある日突然降りかかる原因不明の身体の不調や、じりじりと迫りくる老後の不安、ままならぬ人間関係など、日々多子が直面している悩みがあまりにもリアルで、思わず「うわぁ」と目を覆いたくなる。いっそ読まない方が身のためのような気もするが、それでもなお読まずにはいられない魔力が本作にはある。コロナ禍で、同世代の友人たちと会って他愛もない話をする機会も減りつつある中、たとえ一方通行の関係であっても、漫画に出てくる登場人物たちと顔なじみの気分になって、「みんないろいろ大変だよねー」と思えるからだ。

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立場や境遇の異なる登場人物たちにも抱いてしまう不思議な共感

さらに不思議なのが、多子以外の登場人物たちの気持ちも、なぜかすべて理解できてしまうこと。バイト先で「おばさん」と呼ばれることに戸惑う子持ちの主婦や、癌を患い終活を始める取引先のアラフォー男性、実家で母親と暮らすニートのアラフォー女性、理不尽なことに対して「私、いっこいっこに怒るのをやめたくないです」と訴える20代女性など、置かれた立場も境遇も自分とはまったく違うのに、「わかるわぁ……」としみじみしてしまう。

たとえば……最近、更年期の特徴とも言えるホットフラッシュや睡眠障害に不安を感じるようになり、「社長の友だち」だからクビにならない‟使えない”年上の同僚男性を前に苛々してしまう多子。子育てが一段落し、若者に交じってパート勤務を始めたものの、20歳年下のイケメンバイト仲間から「俺、小宮さんのことおばさんなんて思えないですよ」と声をかけられ、逆に「自分はオワコンなんだ」と突き付けられる小宮塔子。男運が悪く無職で実家に引きこもり「ちゃんと考えてよ。私だっていつまで生きてられるかわかんないんだし……」と心配する母に「じゃマジで私お母さんより先に死ななきゃ!」と捨て台詞を吐く鳴神沙羅。

同級生同士の25年後の悲喜こもごもと、「死に直面する人」たちとの交流で見えるもの

かつて同じ中学に通っていた3人が、四半世紀が過ぎ去ったいまどんな思いで過ごしているのかが赤裸々に綴られるのと同時に、癌で余命を知り、身辺整理をしながらもずっとやりたかった映画製作にようやく着手する男性や、華やかに見えた友人を自殺で失い、ショックのあまり仕事が手につかなくなる年下女子など、多子を取り巻く「死と隣り合わせにいる」人々との交流が、実にリアルに描かれている。

年齢を重ねて、20代の頃には想像もしなかったことが起きることを実体験として知っている身には、ツラい現実にさらに追い打ちをかけられるような気分にもなるのだが、漫画を読むことで自分以外の人たちが抱える悩みにも目が向くようになり、肩に入っていた力がほんの少しだけ抜けていく。「人の振り見て我が振り直せ」ではないが、必死で生き抜く彼女たちに寄り添うことで、いまの自分にとって大切にするべきことも見えてくるはずだ。

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この記事を書いた人

インタビュアー・ライター。主にエンタメ分野を中心に、著名人のインタビューやコラムを多数手がける。多感な時期に1990年代のサブカルチャーにドップリ浸り、いまだその余韻を引きずっている。

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