最新学説を下敷きに描かれる北条早雲の青春を見よ!『新九郎、奔る!』

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新九郎、奔る!
『新九郎、奔る!』(ゆうきまさみ/小学館)
目次

学校で習わなかった中世の人の暮らしが描かれる時代劇

ここ5年くらい、歴史好き、特に戦国時代好きにとって、天国のような時代が訪れている。きっかけは2016年に出版された新書『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』(呉座勇一/中央公論新社)。歴史の教科書で2行程度しか書かれていなかった“応仁の乱”が、実は全国の守護大名が参戦し全国を二分した戦いであったこと。その割に、スターとなる武将も誕生せず11年ずるずる続け決着がつかずに終わったことを、細かにわかりやすく解説した実に地味な本だ。が、この本がまさかの40万部を超える大ヒット。後を追うように、『享徳の乱 中世東国の「三十年戦争」』(峰岸純夫/講談社)、『観応の擾乱 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い』(亀田俊和/中央公論新社)と室町時代から戦国時代にかけての本が続々と出版されたのである。

おかげで、それまで見向きもされなかった日本史の人物や学説をテーマにした漫画が続々登場。上杉謙信が女性だったという説(昭和43年に、小説家の八切止夫が実際に提唱し論争となった)を採用した『雪花の虎』(東村アキコ/小学館)や、主人公が、流行の異世界転生にまきこまれたところ、まさかの近江の国人領主・朽木基綱(信長・秀吉・家康に仕えた名将)に生まれ変わったという『淡海乃海 水面が揺れる時~三英傑に嫌われた不運な男、朽木基綱の逆襲~』(イスラーフィール、碧 風羽/TOブックス)。鎌倉幕府の再建のため後醍醐天皇に反乱を起こした北条時行と「中先代の乱」を描く『逃げ上手の若君』(松井優征/集英社)は、まさかの週刊少年ジャンプ連載だ。これら、室町時代漫画のなかでも、特に厳密な史料考証を行っており、最新学説に基づきながら描いているなと読んでいて感動するのが、今回紹介する『新九郎、奔る!』だ。

著:ゆうきまさみ
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室町幕府の内実を会話とギャグでテンポ良く表現! だってこれは時代劇だから!

本作の主人公は、“伊勢新九郎盛時”。とまあ、この名前を知っている人は、一般人にはほとんどおるまい。最初の戦国大名と言われた“北条早雲”といえば、神奈川のあたりを治めていた人だなとなんとなく覚えている人もいるかもしれない。この大名は、私が中学校のころまでは「浪人から出世して大名に上り詰めた下克上を代表する人物」と様々な本に書かれていたが、近年の研究で室町幕府政所執事(財務大臣兼最高裁判所長官)を世襲し、室町将軍の懐刀でもあった名門・伊勢氏の出身であることが確定した。

本作は、そんな伊勢氏一門として生まれた新九郎(幼名・千代丸)が、京で応仁の乱に巻き込まれるところから物語が始まる。読書好きで曲がったことが大嫌いな少年の目から、大人(有力武士や将軍)たちのつまらない意地の張り合いや政争から起こってしまった大戦乱を観察していく。

実は応仁の乱発生時にまだ11歳であった新九郎が、京に居たという史料は存在しない。しかし、本作はドキュメンタリーでなく時代劇なので、史実がどうのこうのはいいのだ。本作が素晴らしいのは、この創作(時代劇)部分を利用して、現在判明している最新学説を自然な形で作中に盛り込んでいるそこにある。

例えば、応仁の乱の描写である。応仁の乱は、現在の京都市全域を戦場として、京で政治を行っていた有力大名が東軍と西軍に分かれて争ったのであるが、肝心の争っている武士たちは、それまで京のお隣さんとして共に暮らしていたご近所さんだった。そのため、この戦争では市街地で大規模にぶつかるというよりは、相手の屋敷を兵で取り囲んで、嫌がらせに火矢を射掛けるという戦いが主流となっていたことが知られている。

ふざけた話であり、ギャグのようでもあるが、結果的に火矢をつかったことが各地で火災を起こし、都を焼け野原にすることになるのだ。史実通りの描き方をすると盛り上がらないこの戦争を、本作はゆうきまさみ作品の特徴であるテンポの良いギャグ描写を挟むことで、史実に忠実に、でもドラマとして面白く描いている。

また、応仁の乱の最中でも武士たちの屋敷には妻や子どもも住んでいた。そのため、攻撃から守る必要がある武士の屋敷や、京で大人数の兵が集まるだけの広さをもった寺社は、戦乱の間に武装化されていった。京中の塀の周りにはものすごく深い空堀が掘られ、物見櫓があちこちに立っていたことが研究で判明している。特に言及はないが、作者はそうした武装拠点となった京の屋敷をきちんと描きこんで、非日常であることを演出している。時代劇におけるリアルとは、こうしたつくりこみの上に嘘を重ねることで出来上がるものなのだなと感心させられる。

その点で言うと、まだ幼い新九郎をこの時代の京で活躍させた物語構成は大正解だ。純粋で聡明、曲がったことが大嫌いな新九郎だが、それでもまだ子どもである。なので、戦時でも京で政争を繰り広げる大人たちに、嫁の話し相手を頼まれたり、碁の相手を頼まれたり、連絡係を任されたりと、相手に警戒されることなく近づくことが許される。ごく自然な形で新九郎は政界の大物たちとつながりをもち、彼らの思想や心情を聞きながら、時には大人では決してできないような意見具申を行う。新九郎の子ども時代を京へ持ってきたことによって、彼は主人公でありながら傀儡回しとしての役割もこなしてしまっているのだ。

現代日本人は、中世のまして支配者階級の常識など理解しようもない。だから歴史学が発達し、歴史の専門書が執筆されるのだが、ほとんどの人にとってそれらは難しく内容が頭に入ってこないだろう。ここに、新九郎という我々と同じ何も知らない子どもの視点を介在させることで、素人にもわかりやすく歴史背景を学ぶことができるようにしたことに、本作の面白さは凝縮されているようにおもう。もともとパロディ漫画出身で、ギャグには定評のあるゆうきまさみの軽妙な会話劇は、時には現在のカタカナ語を織り交ぜながら、わかりやすく私たちに大人たちの考えを伝えてくれる。笑いながら本作を読み進めているうちに、一端のの歴史通のように室町時代について語りたくなる、そんな作品なのだ。

古くからの歴史好きは眉を潜めるような、時代背景を無視したギャグシーンも多数挿入されるが、それでもいいではないか。だって、本作は、専門書ではなく、歴史を題材にした時代劇漫画なんだから! 大河ドラマを見て歴史を好きになった人だって、漫画を読んで歴史を好きになった人だって、幅広く受け入れてくれるのが、歴史学ってものでしょう。

唯一読みにくさを感じる室町時代の名前の法則をおさらい

ところで、本作は歴史物なので登場人物が多い。なかには、新九郎とほとんど絡むことなく退場してしまうような人物もいる。とはいえ、ベテラン漫画家ゆうきまさみの画力と、キャラクター設定があるので「この人誰だっけ?」となることはほとんどないのだが、一個だけ、歴史漫画ならではの読みにくさがある。

それが、名前である。本作は歴史考証に則った形で社会背景が描かれている。そのため、登場人物たちの名前の呼び方も当時のルールに従い書かれている。これが現在とまるで異なるためとてもややこしい。劇中で解説もあるものの、読み飛ばしてしまった人もいるかもしれない。これから読み始める人のためにも、ここでも解説しておこう。

例として、織田信長という戦国大名の名前を用いてみよう。室町時代の名前のルールに則るなら、彼は生前、織田信長と他人から呼ばれていない。織田信長の本名を正確に表記すると

“平朝臣織田上総介三郎信長(たいらのあそんおだかずさのすけさぶろうのぶなが)”

となる。周囲の人物からは「織田上総介」もしくは「織田三郎」と呼ばれ、名乗っていたはずだ。というのも、この長い名前に、一個一個身分や仕事を表す役割が与えられているからだ。一つひとつ分解してみよう。

①平(たいら)=「氏(うじ)」と呼ばれる名前。その人の本当の名字を指す。基本的には奈良時代以前の貴族が、自らの一族の名称として用いていたもの。武士の場合は、源頼朝の「源」や、平清盛の「平」が知られている。

②朝臣(あそん)=「姓(かばね)」と呼ばれる名前。5世紀から6世紀ごろに定められた「氏姓制度」に端を発する、天皇から与えられた身分を表す名前。身分の区分けのために作られたが、8世紀には殆どの貴族が朝臣を名乗ったとみられている。

③織田=我々の感覚でいう苗字に当たる名前。同じ「氏」を持つ一族が時代を経ていくにつれ分家が増え、氏だけでは家族や人間関係の繋がりを表し辛くなった。そこで各家庭を呼び分けるため用いられるようになったもの。

④上総介三郎=「官途・受領名」と「仮名(けみょう)」。どちらも普段名乗るための名前で通称とも呼ぶ。上総介とは、朝廷から与えられた官職であり上総地方を納める役人という意味でここが官途・受領名。三郎は親がつける通称にあたる仮名。普段使いの名前が二つある理由は、相手と本人との関係値によって、どの仮名を呼ぶかが社会で定められていたから。信長なら、他人からは上総介、親族からは三郎と呼ばれる。

⑤信長=「諱(いみな)」と呼ばれる名前。現在の我々の感覚でいう名前だが、名づけられるのは、成人の儀式である元服後となる。親や主人が名付ける本当の名前。「忌み名」とも記されるため口にしてはならないとされ、主筋の人間や親以外からは決して呼ばれることはない。通常は書面にすら残さず、もし、目下のものがこの名で呼ぼうものなら斬り殺されても文句は言えない。

本作の主人公である伊勢新九郎盛時をこのルールに則って名前を分解するなら

室町幕府政所執事を務めた伊勢氏は平を名乗っていた一族であるため、「平」が氏、「姓」はなし、「官職」もなし、「仮名」が新九郎、「諱」が盛時となる。なお、諱は元服時に貰うということは、当時の日本人は成人するまで名前がなかったということである。作中でも、幼少時の新九郎は千代丸という幼名で呼ばれている。

仮名は仮であるため、今の感覚から割と適当に付けられるということである。一郎、二郎のような生まれ順による数字の名前は当たり前。中には、一族内の子どもは全て同じ幼名なんてこともあった。

また、室町時代になると朝廷から官職を賜るということがほとんど行われなくなったため、仮名に使う官職名は、適当に名乗ることが増加している。そのため、官職名が被ることも多々起こった。漫画内でも、序盤の伊勢宗家の当主である、新九郎の義伯父「伊勢伊勢守貞親(いせいせのかみさだちか)」は「伊勢守」と呼ばれているが、彼が失脚し位階を失うと、嫡男である「伊勢兵庫助貞宗(いせひょうごのすけさだむね)」が「伊勢守」を継ぎ、「伊勢伊勢守貞宗」と名乗るようになった。つまり、親子共々周囲の人々からは「伊勢守」と呼ばれているのだ。

本作では名前がややこしくなりすぎないよう「伊勢守(さだちか)」「伊勢守(さだむね)」といった読みを振るようにしているが、ややこしいものはややこしい。これから本作を読んでみたいけれど歴史物は得意ではないという方は、漢字ではなく読みに記載された「諱」でキャラクターの名前を頭に叩き込むことをお勧めする。

2021年9月現在8巻が出たばかりで、まだまだこれからでも追いかけやすい本作。応仁の乱がどうにもならなくなっていた中、関東の享徳の乱と駿河の騒動に巻き込まれていく新九郎が、いかにして幕府を無視して関東で独立独歩の戦国大名となっていくのか、今後の展開が楽しみだ。

著:ゆうきまさみ
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この記事を書いた人

フリーの編集者。雑誌・Webを問わずさまざまな媒体にて編集・執筆を行っている。執筆の得意ジャンルはエンタメと歴史のため、無意識に長期連載になりがちな漫画にばかりはまってしまう。最近の悩みは、集めている漫画がほぼほぼ完結を諦めたような作品ばかりになってきたこと。

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