※ややネタバレあり
寿命に金額が付くならば―自らの人生の価値とその可能性について考える
自らの命の価値について考えたことのある人間は多いだろう。
残りの人生を想い、価値ある未来があるかについて考えたことがある人間も。もし実際にそれが分かるとしたら。知りたいような、知りたくないような。『寿命を買い取ってもらった。一年につき、一万円で。』は、寿命を売った二十歳の青年の余生を描いた人間ドラマである。
惰性で日々を送る人々は、幸福になる些細なきっかけをいとも簡単に見逃してしまっているのかもしれない。考えることを放棄したせいで重要な選択を間違えてしまったのかもしれない。そんな気付きを与えてくれる、哀しくも切ない、どこか愛おしい、ある若者の人生の物語だ。
金も気力もない大学生のクスノキは、ある日大切にしていた古本とCDを売りに行き、寿命を買い取る店の存在を教えられる。その場所へ出向くと確かに店はあり、時間・健康・寿命が売れるとのことだった。寿命の買取価格は、残りの人生でどれ程幸せになり、人を幸せにするかに基づく“幸福度”、どれ程夢を叶えたかに基づく“実現度”、どれ程社会に貢献するかに基づく“貢献度”などによって決まるという。クスノキの余命は30年3月、寿命は1年1万円の30万円と査定された。クスノキは3ヶ月を残して寿命を全て売った。
その後、問題行動を防ぐための監視員・ミヤギが現れ、最後の3日間を除き、彼女と共に余生を過ごすこととなる。
クスノキはやりたいことを考える。監視員のミヤギから、あるはずだった自分の未来のことや彼女自身のことを聞き、好意を寄せる幼馴染のヒメノに会いに行くなどした。その中で様々な真実や失った可能性を知り、落胆するのだった。
命は等しく平等といえども、その人生によって価値が異なるのは当然なのかもしれない。自分のことばかり考え、幸せになる努力を怠る者の元へ幸福など訪れようはずがない。クスノキの今までの人生と残りの人生には考えさせられる部分が多々ある。何かを変えるきっかけになるかもしれない。
出会いや経験、自らを見つめ直すことで“生きる”素晴らしさを知る
ささやかな生活を送ることを決めたクスノキは、自動販売機を撮影しながら日々を送るようになる。クスノキはミヤギが対象者にしか見えないという事実を物ともせず、人の目も気にせず彼女と同じ時を過ごすうち、ついには想いを通わせた。狭い町において知らずのうちにクスノキは有名になり、次第に周囲の人間にも受け容れられるようになる。
ミヤギのついた優しい嘘に気付き、人生が残り1ヶ月となった時、クスノキは母親に背負わされた借金のあるミヤギのため、残りの人生を売ってその返済に当てることを決意。2ヶ月で寿命の価値は変わり、高額で売ることができた。
残りの人生が3日となったクスノキの前からミヤギは姿を消し、その存在すら疑い、想いが溢れ出す。そんな時、目の前にミヤギの実体が現れ――。
優しいタッチの絵柄と美しい風景が物哀しい物語に彩りを添える。ある意味重いテーマだが、漫画としてサラッと読めてしまうのが素晴らしい。
人生の何に価値を見出すか、象徴的な台詞がある。ミヤギのために30日の寿命を売りに行ったクスノキは、そこで残りの人生で描く絵が将来美術の教科書に載ることになるから、と止められる。「永遠になりたくないの?」と聞かれ、
「俺のいない世界で俺が永遠になってもなんにも嬉しくありませんよ。」
クスノキは永遠より、ミヤギへの想いを選んだ。
考え方も人生も人それぞれ。今は認められずとも、死後伝説になれればという夢追い人もいるかもしれない。気力を持って生きていれば、きっとどんな人生も美しい。命とは、どうしたって尊いものなのだ。
人生について考え直す呼び水となる、傑作コミカライズ
『寿命を買い取ってもらった。一年につき、一万円で。』は、三秋縋氏による人気小説『三日間の幸福』を田口囁一氏がコミカライズした作品である。全3巻、各電子書籍サービスでも配信中。
圧倒的な支持を得る文庫本の漫画版。小説の文体や表現には好き嫌いがあるかもしれないが、漫画版のナイーブな絵柄は原作の世界観をしっかりと表現しており、想像より文字文字しくもないので実に読みやすく大変におすすめ。
切ないけれど優しい物語なので、自らの人生と照らし合わせながらじっくりと読んでみてもらいたい。無価値で無意味だと思っている人生が色付くかもしれない。過去は変えられない。それでも、今からでも未来は変えられる。軽い気持ちで、生きることに思いを馳せてみて。