1962年の東トウキョウ、十月革命駅。人民食堂の看板娘が持つ裏の顔
「昼食(アビェト)は売り切れ! 食べ物は全部売り切れよ!!」。本土決戦を経て敗戦したのち、連合国による分割占領が敷かれソ連の統治下となった1962年の東トウキョウ。杉浦エミーリャは、かつて上野駅と呼ばれた十月革命駅の人民食堂で、給仕係として働く19歳の少女だ。日々、すぐ空になる寸胴鍋を片手に声を張り上げる彼女だが、ひとたび食堂を離れればもうひとつの顔がある。東から西へと人々を逃がす、“脱出請負人”という顔が……。
“本土決戦後、分割占領された日本……“可能性としての東京”を描く架空戦後活劇
かの第二次世界大戦、既に敗色濃厚となっていた1945年の日本において、戦後を左右する重要な分岐となった出来事がある。『日本のいちばん長い日』(半藤一利)などでもその顛末が描かれる、連合国が降伏を求め、戦後の処理方針を示した「ポツダム宣言」を受諾するか否か、だ。『国境のエミーリャ』は、そこで「否」を取った戦後日本が舞台となる。本土決戦に突入後、敗戦。連合国に分割占領され、やがて冷戦の影響下に、という“if”を描くのだ。
作中の戦後日本は冷戦の激化に伴い、東側が「日本人民共和国(東日本国)」、西側が「日本国」として独立。東日本国=ソ連が国境に壁を築いたことで、首都たる東京もかつてのベルリンよろしく、「東トウキョウ」と「西トウキョウ」に分断されている。レーニン像が見守る、東日本国の玄関口たる十月革命駅。主人公エミーリャが表向きの籍を置く人民食堂はいつも食材不足……という描写には、赤化した“東”での人々の暮らしぶりが浮かぶ。
第1話で、同居する母親が「ほほ笑みにも通じるから」という名前の由来を独り言ちるエミーリャだが、そんな彼女は「絶対に笑わない女」。のちに描かれる、その笑顔を奪い“逃がし屋”になるきっかけを作ったエピソードには思わず胸が痛む。しかし、東西に断たれた老若男女の運命を繋ぐ日々のなかでは時に、そんな彼女の強ばった表情が崩れる場面もある。「笑わない女」はまた笑える日を望んでいるのだ。見え隠れする素顔にドラマがある。
壁に分断された老若男女の人生……“脱出請負人”が繋ぐ未来の行き先とは
エミーリャが西へと逃がすのは、壁により実母と引き離された少女をはじめ、西での飛躍を期す数学者、パリで絵を学びたい画家、東では道を断たれた元プロ野球選手などさまざま。史実の戦争が翻弄した、数多の人生を想起させるような人々を助けることになる。物語が進むにつれ、警察機関・民警(ミリツィア)や西側の“組織”などの追っ手も迫るなか、“脱出請負人”に明日はあるのか。朴訥な画面に、重厚な架空戦後活劇が広がっていく。