“東映のニューフェイスで弘樹や新伍と同期だった”大泉洋、当時の出演作を語る
「ボクぁね、港 港に女がいる海の男なんですよ」。海が好き、海しか知らないと前置いた大泉洋が、ニヤつきながら切り出した。北海道ローカル発の人気バラエティ番組『水曜どうでしょう』を象徴する企画「サイコロの旅」。その中でも最長のロケ日数を費やし傑作と謳われる「サイコロ3」における、鹿児島へ向かう車中で大泉が同行の面々に語る一幕である。
「トローリングね。ボクぁよく弘樹と一緒に…」
「松方弘樹。ボクら同期生だから」
「(自身の代表作を聞かれ)喧嘩の道 男の道っていう映画に出てた」
「無類の喧嘩好きでね。酒と女と喧嘩だけに明け暮れるっていう」
「あと喧嘩太鼓とか」
「この前だと思ったけどね。喧嘩太鼓が…」。
書くまでもないと思うが、これらはすべて大泉の出まかせ……“ホラ話”だ。
「北海道には大泉洋という怪物がいて…」その名人芸の最たる“ホラ話”
「北海道には大泉洋という怪物がいて、当時はとてもかなわなかった」。「欧米か!」のネタで知られる同郷のお笑いコンビ・タカアンドトシは、北海道でのブレイクまでに時間がかかった理由を聞かれると大泉の存在を挙げ、このようにコメントしたことがあるらしい。
大泉といえば、“北海道の大スター”というイジリ待ちの自称ももはや自称に留まらなくなって久しい。北海道のローカルタレントから全国区の知名度を誇るまでになった人気者だ。
そんな大泉のヒストリーを語るうえで欠かせないのが『水曜どうでしょう』。1996年10月に北海道テレビ(HTB)で放送が開始され、常に高視聴を維持した伝説的なバラエティだ。北海道発のローカル番組ながら、面白さがクチコミで広がり全国へと展開。レギュラー出演者の大泉も番組とともに全国に進出し、それが今日の活躍に繋がる。『水曜どうでしょう~大泉洋のホラ話~』は、そんな同番組内で語られた大泉の“ホラ話”を膨らませたマンガである。
「この番組の面白さの大きな要因の一つとしては、もちろん大泉洋さんというキャラクターの面白さが大きくあるわけです」。「(大泉は)有名になる前から、話の内容もさることながら、その節回しやリズムには本当に名人芸というものがありました」
『水曜どうでしょう』の物語の構造を分析した書籍『結局、どうして面白いのか ──「水曜どうでしょう」のしくみ』(佐々木玲仁/フィルムアート社)で、著者の臨床心理士・佐々木玲仁もこのように指摘しているが、大泉の才能のうちもっとも特筆すべきは、やはりその卓越したトークスキルだろう。
ある時は司会で、またある時はバラエティ番組のトークコーナーで、またまたある時は出演作の舞台挨拶の壇上で。いつもユーモアにあふれた語り口を披露し、笑いを届けてくれる大泉だが、その話術は出世作となった『水曜どうでしょう』の時点でも既に輝きを放っていた天性のもの。特にその話しぶりが光ったのが(今や本人にとっては若気の至りかもしれないが)、本作で取り上げ、掘り下げられている突拍子もない“ホラ話”の数々なのだ。
「超劇画調で、体毛3割増しに」“水どう”を“水どう”たらしめる大泉洋ワールドを濃縮
詳しくは実際に読んでほしいのだが、例えば冒頭の「喧嘩太鼓」の“ホラ話”は、「かつて日本一の太鼓打ちだったが今は酒に溺れた生活を送る“喧嘩太鼓の寅吉(もちろんこれが大泉である)”が、賭場で出会った壺振りのお竜の言葉をきっかけに改心。そして数カ月後、町の祭りで太鼓打ちの大役を担うことになった寅吉の前に、祭りを彩る太鼓の音色をサンバに変えようとする人物が現れ……」という、期待どおりのトンデモ展開を見せてくれる。
過去に番組イベントのメインビジュアルを手掛けた星野倖一郎が漫画化しているのだが、いきなり目を引く濃い劇画調の画面は、「僕を荒々しく描いてほしい。超劇画調で、体毛3割増しにしてほしい」という大泉のリクエストによるとのこと。この時点ですでに面白い。
レギュラー放送こそ終了しているが、かつて大泉が発した「一生どうでしょうします」の言葉のもとに不定期で新作が放送され、今なお変わらぬ魅力を放つ『水曜どうでしょう』。
同番組を追いかけてきたファンはもちろん、これから同番組に触れる視聴者にもあわせて手に取ってほしい、“水どう”を“水どう”たらしめる大泉の面白さを濃縮した異色作だ。