「ほんやくコンニャク」という“お約束”に頼らない
「……たとえば私たちは、自分たちがどうして日本語をしゃべらなければいけないのかについては、説明できません。日本に日本人として生まれたからには日本語を話すのが当たり前だと言っても、合理的に説明できないわけです……同じように、世界にどうして違う言語があるのかということもうまく説明できません……」(青木保『異文化理解』p15-p16)
『ドラえもん』に登場する、ひみつ道具のひとつ「ほんやくコンニャク」。そのこんにゃくを食べる(または相手に食べさせる)ことで、あらゆる言語が理解・使用できるようになり、意思疎通が可能になる……という代物だ。
マンガを含むフィクションにおいては、この「ほんやくコンニャク」的な要素があらかじめ“機能済み”になっている場面に遭遇することが多い。言語、そしてコミュニケーションの壁が、ストーリーにおいて重要ではなく展開上の足かせになるためだろう。それを楽しむ我々も、その点については“お約束”として処理しがちである。
『ヘテロゲニアリンギスティコ~異種族言語学入門~』は、そんな「ほんやくコンニャク」的な“お約束”が特に活用されがちなファンタジックな異世界を舞台にしたうえで、しかしそれに頼っていない。
立ちはだかる言語やコミュニケーションの壁に、真っ向から挑むことを軸に据えている作品だ。
いわく「人と違うものには人と違うルールがある」
本作の主人公はハカバという名の若き言語学者。物語は、怪我でフィールドワークができなくなった教授に代わって「現地」の言語やコミュニケーションの研究の続きを担うことになった彼が、気球で「現地」――魔界へと降り立つところから始まる。
ハカバの最初の訪問先は、どう猛で人を襲うイメージのある“モンスター”ワーウルフの集落。そこで落ち合った現地ガイドは、教授を「お父さん」と呼ぶワーウルフと人間の中間のような子ども・ススキだった……というのが導入だ。
かくしてハカバは調査を開始するが、初っ端のワーウルフたちへの挨拶からいきなりひと苦労。現地語で発声したつたない「はじめまちて」に、親愛を示すボディランゲージらしい“顔を舐める”しぐさを返され続け、ワーウルフの唾液と毛にまみれた末になんとか初コンタクトを終える。
彼の異種族交流はこの調子で、「お互い何を言っているか分からない」「そもそも意思疎通が可能かどうか分からない」状況も多々あるなか、それでも何とかコミュニケーションを取りながら進行していく。
“お約束”に一石投じる、“分からない”を知る面白さ
「人と違うものには人と違うルールがある」、そして「調査中 人間の価値観に囚われていてはいけない」というのが教授の教え。「鳴き声に聞こえる」こともある言語をはじめ(ハカバが分からないものは、読者向けの“翻訳”もなされないのが本作の特徴だ)、しぐさや嗅覚・視覚なども駆使するそれぞれのモンスターのコミュニケーション方法について、ハカバの分析から徐々に明らかになっていく描写には“分からない”を知る面白さがある。
また、異世界を舞台にした作品では、例えば冒険ファンタジーにおいて「敵」として記号的に配置されがちなワーウルフやスライム、リザードマンといったモンスターたちが、それぞれの生活や文化のもとで人間と同じように暮らしているのも本作の大きな見どころ。彼らの死生観など、その独特の生態がつまびらかになっていく様子にも好奇心をくすぐる仕掛けがある。
ダンジョンに巣食うモンスターたちを「食料」とする冒険者一行を描いた『ダンジョン飯』のように、つい“お約束”に頼りテンプレートに捉えがちなファンタジーの異世界観に一石を投じることで、現実を見る目にも新たな視点をもたらしてくれるような意欲作だ。