デジタル全盛の時代に「写真は何を映すのか」を優しく問いかける『明日を綴る写真館』

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『明日を綴る写真館』(あるた梨沙/KADOKAWA )

若くしてその才能を認められるも、自分の撮りたい写真が撮れている実感が持てずにいたフリーカメラマンの五十嵐太一が、寂れた写真館の主人に弟子入り。「写真を撮ることだけがカメラマンの仕事じゃない」と話す主人と一緒に撮影をするなかで、技術ではなく、被写体とのコミュニケーションを大事にしてこそ、いい写真が撮れるのだ、という極意を身に付けていく『明日を綴る写真館』。デジタル全盛の時代に、若者たちのあいだでフィルムカメラが見直されているいま、「写真とは何を映しだすものなのか」を優しく読者に問いかける本作の魅力を紹介したい。

著:あるた 梨沙
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目次

「うまいかどうかは分からないけど、いい写真だな」と思える写真とは?

俳優や監督に取材して記事を書くインタビュアーの仕事をしていると、ときどき自分でポートレート写真も撮影しなければならない局面にぶち当たることがある。まだスマホがなかった学生時代はビッグミニ(Konica/現コニカミノルタのコンパクトカメラ)で写真を撮りまくり、今は亡き叔父から高価な一眼レフのカメラを譲り受け、写真家のアシスタントの面接を受けたこともある。もともと撮るのは嫌いではない、どころかむしろ好きなのだが、限られた時間のなかで被写体のベストショットを撮れる自信がなくて、出来ることならインタビューだけに集中したいと思ってしまうのだ。

だがごく稀に、「これはインタビューをした自分にしか引き出せなかった表情なのでは?」と、取材後に撮った写真を見ながら感じることがある。プロのカメラマンのようにどんな状況下でもそれなりに仕上げられる撮影技術はないけれど、自然光のなかで撮った表情重視の写真に限って言えば、「うまいかどうかは分からないけど、いい写真だな」と思える写真はあるし、撮影するときに交わしたちょっとした会話のやりとりが、インタビューのときに訊いた話よりもよっぽど印象に残ることもある。

人を撮ることは、その人自身を知ることから始まるーー

『明日を綴る写真館』で描かれる太一の“気付き”も、まさにそこにあるような気がしてならない。写真館の主人が「太一くんにはいい写真を撮って欲しいんだよねえ」「撮影技術は、僕よりずっと上なんじゃない?」「でも撮影することだけが僕らの仕事なのかな」と太一に問いかける。「撮っている人がいい顔をしているとき、撮られている人もいい顔になる」「自分の気持ちを写真にこめる」「被写体のこころにフォーカスを合わせて、その想いを伝えるためにシャッターを切る」「“想い”には人を動かす力がある」。それに太一が気付いて腑に落ちたとき、それまで彼が撮っていた写真とは、何かが明らかに変わるのだ。

「ここはどれだけ自分の好きなことに没頭しても、それを理解してくれる人がいて、自分が自分のままでいられる場所なんです」

太一にとっては寂れた写真館が「息が出来る場所」であるように、私が安心して「好き」を表明できる場所は、いったいどこにあるだろう。「人を撮ることは、その人自身を知ることから始まる」。プロではない自分が撮った写真が「いい写真」に見えるとき、それはインタビューを通してほんの少しその人自身に触れられた後だったからなのだ、と『明日を綴る写真館』を読んで初めて理解できたような気がした。

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この記事を書いた人

インタビュアー・ライター。主にエンタメ分野を中心に、著名人のインタビューやコラムを多数手がける。多感な時期に1990年代のサブカルチャーにドップリ浸り、いまだその余韻を引きずっている。

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