『ぼくらはみんな*んでいる』――「生きるように死んでいる」彼らはきっとぼくらと裏表

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『ぼくらはみんな*んでいる』(金田一蓮十郎/スクウェア・エニックス)
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「最近多いですよ。死んだことに気付かない人」――“死んで生きる”ことで変わらないもの、変わるもの

「あー……あなたとっくに死んでますね」。ブラック企業に勤めて5年。理不尽な仕事量に追われ深夜の帰宅が続く会社員の砥山紘一(とやま・こういち)は、同僚に顔色の悪さを指摘され病院に行ったところ、医者に「死んでいる」ことを告げられた。恐らく過労死で、死後1週間。いわく「最近多いですよ。死んだことに気付かない人」だそうだ。干からびるからと水分だけは摂るように言われ、防腐剤を処方されて「お大事に――」。「……お大事にっておかしくない?」。

世界には、10数年程前から未知のウイルスが蔓延している。特になんの症状もなく、死んだときにだけそのウイルス由来の特異な状態になる。これが砥山も蝕まれた、いわゆる「ゾンビ化」だ。とはいえ、映画やドラマで観るような、“いかにも”なものになるわけではなく、死んでもこれまで通り過ごす人がほとんど。しかし “死んで生きる”ためにもお金はかかる。砥山は夜空を見上げ思う。「俺死んだのに明日も普通に会社行くのか……」「……まぁいいか」。

著:金田一蓮十郎
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ゾンビになって「初めて死んだ実感がした」のは……? 不思議な「死」を“生きる”人々

無気力な暮らしぶりで、夢も希望もなく「死んだように生きている」……「死んでいるも同然」の“ゾンビ”のごとき人物がいるとする。そんな人物が叱咤されたり、何らかのきっかけで自ら活力を取り戻すことで“生”に立ち直る展開は、こと創作の世界においてたびたび見かける筋書きだ。では、人並みの暮らしを送り、人並みに夢や希望を持つ「生きるように死んでいる」……「生きているも同然」の“ゾンビ”が“生きる”先には、はたして何が待つのか。

昨年も『ゾン100~ゾンビになるまでにしたい100のこと~』(原作・⿇⽣⽻呂、作画・⾼⽥康太郎/小学館)がTVアニメ化と実写映画化を果たすなど、「ゾンビもの」といえばマンガでもすっかり定番化し、次々と新作やメディアミックスが行われる人気作が出るジャンルだ。『ぼくらはみんな*んでいる』も同ジャンルの一作なのだが、必然的に非日常が介在する設定にも関わらず、どこか身近さを感じる“ゾンビ”の平熱感ある日常を描く内容が独自の魅力を醸す。

かくして“ゾンビ”と化した砥山は冒頭の成り行きを経て、それでも引き続きブラック企業勤めの会社員として“生きて”いく。「自分の死亡届を出す」という本作ならではの行動を起こすなかで、「自分ちょっと前に死んでたみたいで」と切り出すしかない砥山の姿は不思議な笑いを生む。その後砥山は、やむを得ず職場にも“死んだ”ことを打ち明けるが、それによって労働環境が改善され、あまつさえ恋人までできてしまうという展開は面白くも皮肉だ。砥山は「どうしようもない日々が反転した」ことで、「初めて死んだ実感がした」と独白する。

ある「死」に接した我々は、それでも続く「生」を送るなかで、ふとその「生」が以前のそれとは大なり小なり異なることを感じる。しかし、やがてそんな「死」の違和感も「生」に折り込み、「死」も内在した「生」こそを「生」としていく。反転した日々、つまり非日常が日常になるのだ。作中の不思議な「生死」も、その実は我々と裏表というのが味わい深い。

その瞳孔が開ききった眼差しは何を見る――「死」んで色づき始める「生」

本作はオムニバスということで、第1巻には砥山のほかにも殺人事件の被害者となった女子高生・杏野晴美のエピソード、社内恋愛を経て結婚するも愛憎の果てに……な合川夫妻のエピソードも収められている。晴美の話も続刊に向けて気になる展開を見せるが、合川夫妻の話は本作ならではのオチが付き、本作らしい苦笑い感とどこか気味の悪い読後感が一段と色濃い。表紙の晴美の瞳孔が開ききった眼差しは、読了後もどうにも頭から離れない。

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この記事を書いた人

アニメやマンガが得意な(つもりの)フリーライター。
大阪日本橋(ポンバシ)ネタやオカルトネタ等も守備範囲。
好きなマンガジャンルはサスペンス、人間ドラマ、歴史・戦争モノなどなど。
新作やメディアミックスの話題作を中心に追いかけてます。

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