「老いて死ぬ」嫌でもやってくる将来の自分に、今の自分は何ができる?
「私を病院に連れていったり墓に入れたりするのは誰だろう」。
コラムニストとしても活躍する漫画家のカレー沢薫が、孤独死がテーマの『ひとりでしにたい』を描いた理由について、「文春オンライン」のインタビューを受けた際の一言だ(記事リンク)。
執筆にあたり、連載開始時に特に気になっていた「将来への漠然とした不安」をテーマに立てたカレー沢。「結婚はしているが、子どもはできないだろう」という立場からいざ老いて死んでいく時の懸念を思い浮かべたそうだが、「考えても思いつきませんでした」。
“かくあるべし”という家庭像やライフプランがない現代である。同じく答えに窮してしまっても、まず少数派とはならないだろう。“死に方”は時代性のあるトピックなのだ。
“「2000万円問題」の処方箋”をうたう『ひとりでしにたい』は、そんな誰しもつい目を背けがちな、しかし逃れることができない“死に方”のアレコレにコミカルに作用する、口に苦い良薬である。
独身アラフォーの行く末は「黒いシミ」? 婚活……いや、終活を始めよう!
「え?うそ?伯母さんが……?孤独死?」。美術館の学芸員として生計を立てる35歳の独身女性・山口鳴海はある日、バリバリのキャリアウーマンで独身貴族だったはずの伯母が、「黒いシミ」のような姿で発見されたことを聞いた。
かつて憧れた伯母の最期から、全く同じルートを辿っている自分の将来に不安を覚えた鳴海は、あわてて婚活を決意する。しかし、「結婚すれば安心」という短絡的な考え方は、官庁から出向してきたエリートの年下男性職員・那須田に全否定されてしまう。
「だったら 私はひとりで生きて ひとりでしにたい」。こうして鳴海は、アラフォーにして終活をはじめることに……。
「ひとりでしにたい」ために婚活から終活へとシフトした鳴海は、そのために伯母の孤独死の背景を調べ、両親や弟夫婦との関係や付き合い方を見直し、両親の老後と死を考え(「まずは親に終活をさせる。それも私の終活なんだ」とは至言だろう)……と、面倒くさいアレコレに向き合っていくことになる。
鳴海の“気付き”のトーンは基本的にコミカルで、たまーにシリアス。毒の効いた、小気味良いコラムでも名を馳せるカレー沢らしい、その温度感に親しみを覚える人は少なくないだろう。面倒くさいアレコレは、万人にとって面倒くさいものであることを痛感させてくれる。
どうやら鳴海に好意を持っているらしい那須田の、付かず離れずのアシストぶりもまた別の意味で面倒くさいのがいい。話を暗くさせないエッセンスのひとつである。
「生きるのも日常、死んでいくのも日常」……「まだ早い」うちがちょうどいい。
「生きるのも日常、死んでいくのも日常」。
女優の樹木希林が、その晩年に起用された宝島社の広告「死ぬときぐらい好きにさせてよ」に寄せた、その死生観を伺わせるコメントだ。
“死に方”について、全身を蝕むがんに真正面から向き合った大女優のように達観するのは至難の業だとしても。鳴海くらい不格好でもいいから、早め早めに意識するくらいならどうにかやれるのではないだろうか。
人生は長いようで短い。カレー沢いわく、こういうものは「まだ早い」と言ってるうちに「もう遅い」になってしまうのだから……。