『夜とコンクリート』は、第17回文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞受賞作「夏休みの町」を収録した町田洋の初期作品集。眠れない建築士と建物の声を聴く男の不思議な出会いを描いた表題作「夜とコンクリート」を筆頭に、「夏休みの町」「青いサイダー」「発泡酒」の計4本が収録されている。シュールな世界を静謐なタッチで淡々と綴り、まるで一篇の詩に触れたような読後感が味わえる本作の魅力を紹介したい。
「俺は建物が喋ってるのが聞こえるんですよ」とつぶやく真夜中の訪問者
“夜”を描いた名作漫画は数あれども、“夜のしじま”を的確に描いた名作にはそうそうお目にかかれない。深夜ラジオの放送すら終わり、新聞配達のバイクすらも通らず、「この世界に生きているのは自分だけなのではないか」と深い孤独の淵に立つような、人や動物だけでなく、すべてのものが寝静まった瞬間に訪れる、得も言われぬ特別な時間。わずか数時間後には漆黒の空がかすかに色づき始めることすら信じられず、しんとした空間の中に身を浸す。
そんな夜を一度でも味わったことがある人ならば、「夜とコンクリート」の世界に入り込むことはきっと容易いはずだ。不眠症の建築士の男が、ある晩タバコを買いに外に出たところ、ひどく酔っ払ったボンクラの同僚と、彼を介抱する見知らぬ男に出くわしてしまう。「終電を逃したから泊めてくれ」という同僚の頼みを仕方なく聞き入れて6階建てのマンション(ただし、エレベーターはない)の自室に連れ帰るが、介抱していた男がふいに「水道出しっぱなしですよ」とつぶやいた。
部屋に戻ってふと風呂場に目をやると、たしかに水道の蛇口が開いたままで、洗面器から水があふれ出していた。「なんでアイツにそれが分かったんだろう……?」と不思議に思い尋ねると、「俺は建物が喋ってるのが聞こえるんですよ」と、単なる酔っ払いの戯言とは思えぬような口調で、「なんて言うのかな……。電波の悪いラジオの周波数みたいな」と、その男が訥々と語り出したのだ。
輪郭をなぞった線とベタと余白だけで構成される、すべてが寝静まる夜
素性の分からない初対面の男が真夜中にそんなことを言い出したら「うわ、やべーヤツ」と速攻追い返したくもなりそうだが、建築士という職業柄なのか「俺が計算した建物も喋ってるんだろうか」と切り返す。「ええ、すべてが喋ってます」「うるさくないの?」「うるさいです。でも静かな時間もあるんですよ。建物もね。眠るんです。午前3時から夜明けまで」。
「変なヤツ」と思いながらも、その男が帰っていった後、ひとりベランダでタバコをくゆらす建築士の佇まいが秀逸だ。ほぼ全編にわたり、輪郭をなぞっただけの線と余白とベタで構成され、最低限の要素しか描き込まれていないというのに、ひんやりした空気やタバコの匂いまでもが手に取るように伝わってくる。まるで自分も建築士の男のマンションのベランダに居るような、不思議な安心感に包まれる。眠れない夜のお供にオススメしたい1冊だ。