少し冴えないが熱意だけはあるフリーランスの新人助監督・波野洋輔が、映画監督を目指して奮闘する日々をベースに、映画製作の裏側と魅力を余すところなく描いた『オールラッシュ!映画を作る物語』。『映像研には手を出すな!』(大童澄瞳/小学館)や『桐島、部活やめるってよ』(朝井リョウ/集英社)など、映画研究会などの学生たちの話は割と多いが、プロの現場の舞台裏をここまで詳細に紹介する漫画は珍しい。ブラックだと言われがちな映画業界で、まわりがどんどん辞めていくなか、夢と過酷な現実との間で揺れ動く主人公の葛藤を描いた秀逸なお仕事漫画のひとつである本作を紹介したい。
ピラミッドの土台を支えるサード助監督の仕事とは?
タイトルの「オールラッシュ」とはあまり聞きなれない言葉だが、漫画の冒頭には「オールラッシュとは、映画業界において映画のフィルムを荒く編集したもののこと、また、それを試写することをいう」とある。そして「映画製作が一段落した証でもある」と。もちろんそこから完成品を試写する初号試写に向けてさらにブラッシュアップしていくわけだが、映画製作の甘くない現実をリアルに描いた本作において、その途中経過をタイトルにするというのはなんとも心憎い。
主人公・波野の夢は「米国アカデミー賞を総なめにするような映画を撮ること」。だが現状は、スムーズに撮影が進むように監督と連携してサポートをする助監督のなかでも、チーフ、セカンドに続く、サードという立場に置かれている。つまり監督を頂点とするピラミッドにおいては一番下となる役回りであり、小道具の準備からエキストラの管理、そしてカチンコ打ちまで、ありとあらゆることを任される。具体的な資格があるわけではなく、監督を志して撮影現場に飛び込んだものの、万年助監督止まりという可能性もあるし、むしろ売れっ子助監督の方が、監督よりも遥かに稼いでいるというケースも少なくない。
タランティーノに憧れ、「カンヌに行く!」という夢は叶ったが、いまだ旅の途中……
思えば筆者も高校時代、タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』(1994年)がカンヌ国際映画祭で最高賞のパルム・ドールに輝き、放課後、監督志望の友人と「いつか仕事でカンヌに行く!」と無邪気に言い合っていたのが、映画業界で働きたいと思い始めたきっかけだったような気がする。24歳で映画配給会社に入り、「カンヌに行く」という夢は26歳で叶ったが、それからゲームや新聞、WEBメディアなどの業種に脱線するも、なんだかんだその間もずっと映画と関わり続け、未だライターとして映画業界の片隅にしがみついているような状況だ。
本作のなかにも、主人公の波野が父親から「いつまでそんな仕事を続けるつもりなのか」「お前は背広を着て働いたことがないだろう」と詰め寄られ、「自分が進む道は本当にこれで間違っていないのだろうか」と将来について悩む場面が登場する。優秀な後輩に抜かれて悔しい思いをしたり、同じ苦労を分かち合えると思っていた仲間が次々と足を洗い、別の業界で活躍している姿を目にして焦ったりする気持ちも手に取るように伝わってくる。映画の仕事は潰しがきかないことが多く、ある日キッパリ諦めて業界を去っていく人も多いのだ。
だがその一方で、たとえどんなに辛くても、ひとたび圧倒的な才能や作品と出合ってしまうと、一瞬でその苦労がすべて吹き飛んで「うわぁ、やっぱり何があっても映画の仕事に一生関わり続けたい!」と思わされて引き戻されてしまうのだから、映画というものは本当にタチが悪い。たとえ映画製作の現場に携わった経験がなくとも、映画には人を狂わす得体の知れない魔力があることを、この漫画を通じてきっと垣間見ることができるはずだ。
理不尽なことに耐え抜いた人だけが活躍できる現状に風穴を開けるためには?
助監督のなかでもサードという、普段あまり人目に触れない職業にフォーカスを当てることで、映画業界に限らず夢を叶えるために目の前のことに必死で取り組んでいる人たちの背中をも押してくれるような『オールラッシュ!映画を作る物語』。なにかとブラックな職場環境であることが話題になりがちだが、いま第一線で活躍している映画人たちにも、人知れず下積み時代があったりする。それに耐え抜き、生き残った人たちだけが活躍できるという風潮が長らく続いたが、そういった理不尽なことが少しでも解消され、心身共に健康でモノづくりに専念できる環境が整うことを願ってやまない。そのために自分が出来ることは何か、いちライターとしても考え続けたい、と波野のキラキラした瞳を見ながら改めて思うのだ。