読む人の数だけ異なる解釈がある、秀逸で難解なストーリー
昨今YouTubeやSNS上で広く、「考察系」という言葉を耳にするようになった。その多くは謎解きに近く、展開中の作品の結末を予想し、当たり外れを楽しむものだ。作品によっては答えのないものがある。作者が答えを明言せず読者の解釈に委ねる場合、いくら考察を重ねたところで正解は分からない。ある意味考察はどこまでも自由で、導き出した答えが読者なりの解釈であれば全て正解なのかもしれない。果たして真実は一つか、片や読者の数だけあるのか。
ここに、考察に相応しい難解な漫画作品がある。
『虹ヶ原ホログラフ』は、虹ヶ原という土地を舞台に、主人公とその同級生らの過去と現在、その行く末を描いたヒューマンサスペンスドラマだ。
登場人物の視点、モノローグとセリフ、過去と現在が交錯し、あらゆる要素が複雑に絡み合っている。雰囲気は非常に鬱々としており、人間の醜さや汚さ、愚かさが描き出されている。全ての人間が心に闇を抱え、生きるためにただ漠然と生きている。登場人物らの人生としての物語は理解できるが、作品全体を通してのテーマ、伏線や暗示の理解は難しく、哲学書の如く曖昧で煩雑。多くの読者に、辿り着いた答えを共有してもらいたい。
人間の醜悪が集積した町・虹ヶ原は、人間の本質を写す鏡である
小学5年生の頃に虹ヶ原町に引越し、1年後に転校、ある目的のため現在の虹ヶ原町に戻った鈴木アマヒコ。小学生の頃はいじめっ子で、喧嘩により頭を殴打された際に精神疾患を患い、現在は虹ヶ原町のスーパーでアルバイトをしている小松崎康太。「ある少女と7人の村人とトンネルに住む怪物の物語」という、厄災を予言した少女を恐れた村人が少女を殺して怪物に捧げるという行為を繰り返す物語を日記帳に綴り、同級生らにトンネルに落とされ、現在まで意識不明状態の木村有江。この3人と周囲の人間を中心に、物語は展開する。
断片的な静止画と、現在および過去の登場人物たちや出来事を象徴する動画からなるプロローグは、この先の不穏な物語を予感させ、重厚なミステリーサスペンス、サスペンスホラー映画の導入を思わせる。
あらゆる視点の詩的なモノローグがバラバラの物語を繋ぎ、やがて登場人物たちの生活とは異なる壮大な物語が姿を現す。プロローグからエピローグまで考え尽くされた構成は実に良質で、読後は充足感と少しの疲労感に包まれる。
本作には殺人、暴行、強姦、虐待、いじめ、毒親……とあらゆる邪悪が存在する。どこかで起きていそうで、身近にはない興味深い物語。人間の抱える醜さや恐ろしさをまざまざと見せつけられる。殺人鬼の方がよほどまともではないかと思えるほど、虹ヶ原町の人々は歪んでいて罪深い。唯一の希望とも思える善なる存在も、最後は大きな悪に飲み込まれてしまう。虹ヶ原町の物語に希望を見出すのは難しい。ただ、醜悪な人間との対比か自然描写はどれも息を呑むほどに美しく、強烈な光と仄暗い闇の描写も非常に刺激的で素晴らしい。また、コマ割りやその展開はそのまま脳内に動画が再生されるほど緻密で、効果的な強弱と流れるようなスムーズさがある。
有江の紡ぐ“ある少女と7人の村人とトンネルに住む怪物の物語”も、本作も、私たち人間の物語である。全ての人間には、等しく選択権がある。しかし多くの場合、人間は怪物に立ち向かうという選択肢を捨て、厄災を予言する者を排除し、その根本を排除しようとはしない。予言者には厄災を伝えず自ら世界を葬るという選択肢があり、私たち(村人)には怪物と対峙するという選択肢があることを忘れてはならない。どう生きるか、それは全ての人間の選択と意志に委ねられている。
読むほどに奥深く、読者によって姿を変える幽玄な漫画作品
『虹ヶ原ホログラフ』は、浅野いにお氏による、暗い現代社会を生きる人々の等身大の姿を描いた黙示録的サスペンス漫画である。2003〜2005年に雑誌「クイック・ジャパン」(太田出版)にて連載、完結済み。60ページの書き下ろしを加え、2006年に単行本化、全1巻。
隅々までよく出来ていて、満足度の高い1冊。
あらゆる悪が凝縮されたような陰鬱な物語かつ犯罪描写も多々あるため、苦手な人は注意が必要。ただ、物語は奥深くメッセージ性も高いので、少々目を瞑りながらでも読んでみる価値あり。
結末は決して哀しくはない。とても難解で、読むほどに解釈も変わってくるため、長くかつ繰り返し楽しめる作品。
解答はなく、読み方や捉え方、読者の考え方次第で物語は姿を変える。インターネット検索をかけてさまざまな人の感想を読めば新たな発見があり、作品に関する意見交換を行えば見方が変わる。噛むほどに味わい深い本作を読み、自らの答えを見つけ、作品解釈への変化を楽しんでもらいたい。
◎鬱屈した青春と世界の終末が交錯する超大作。心が抉られること必至!
◎映画化もされた青春漫画の金字塔。浅野いにお初期の大傑作