美人の幼馴染と入れ替わったら、良くも悪くも自分の本質が見えてきた『鏡の前で会いましょう』

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『鏡の前で会いましょう』(坂井恵理/講談社)

幼い頃からコンプレックスの塊ではあるものの、身の程をわきまえ、分相応を心がけることで、それなりに楽しく生きてきた“不動明王似”のアラサー女性・各務明子(かがみ・みょうこ)。ある日、彼氏と別れて、美人で親友の日下部愛美(まなちゃん)にやけ酒に付き合ってもらった翌朝、なんと二人の体が入れ替わっていたことから、人生が一転してしまう。本作が他の入れ替わりモノと違う点は、小学生の頃から知っている幼馴染と入れ替わったという設定。だからこそ、身近にあったのに今まで見えていなかった世界に触れ、自分の本質に気付かせてくれるところにある気がしてならない。

著:坂井恵理
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「もしも美人に生まれていたら……?」のメリットとデメリットをリアルに疑似体験

読み手が明子と、美人のまなちゃん、どちらに共感するかによって、この物語の捉え方はだいぶ変わってくると思うが、完全に“明子派”の筆者としては、まなちゃんと入れ替わったことで一喜一憂する明子に感情移入してしまい、ページをめくる手が止まらなかった。「夢でもいいから醒めないで」と願う明子の気持ちが、手に取るように分かったからだ。

まなちゃんには悪いが、美人で標準体型の女性の日常を束の間謳歌しようと、オシャレをして町へと繰り出し、元カレを待ち伏せして逆ナンしようと試みるが、いざ簡単に引っかかる元カレを前に猛烈な虚しさを感じたり、中身がまなちゃんの自分の顔をまじまじと見つめ、「こうして改めて自分を見てみるとやっぱりブサイクだな」「あたしはこのまま元に戻らなくてもいいんだけど、まなちゃんはそんな身体やだよね」と我に返ったり……。でも結局明子は「もしもこのまま戻れないなら、あたしはこの体を最大限活かす!」「まなちゃんみたいにもったいない使い方はしない」と決意し、前向きにこの入れ替わり生活を続けるのだ。

「もしも美人やイケメンに生まれていたら……?」とは、きっとそうではないビジュアルで生まれた人なら誰もが一度は考えるであろう妄想だが、いざそれが現実になったらいったいどんなことが起きるのかを、ここまでリアルに疑似体験できる物語はなかなかない。そうではない立場からすると美人やイケメンのメリットばかりに目が行きがちだが、本作を読むと「美人でも決していいことばかり起きるとは限らない」と思わずにはいられないし、さらにもっと突っ込んだ話をすれば、育った環境によって人の価値観や生き方は大きく左右されるから、持って生まれた美貌や才能を活かせる人ばかりでないことも痛感させられる。

その人を、その人たらしめているものは、見た目と中身のどちらなのか

なかでも興味深いのは、学校生活では見えてこなかったそれぞれの特性が、社会人生活においては「すべて」と言っても過言ではない程、その後の人生を決定づけてしまう、という残酷な現実が、明子とまなちゃんの職場での入れ替わりによって明らかになる場面。同僚や上司との付き合い方はもちろんのこと、挨拶の仕方や服装、醸し出す雰囲気が、その人をその人たらしめているのだということが、コメディタッチの漫画で描かれることで、より真に迫ってくる。「じゃあ、外見や立ち居振る舞いを磨けばいいじゃん!」と一筋縄ではいかないところが、この物語の面白さ。人はその見た目や環境がもたらす長年の行動様式によって形成されているものだから、一朝一夕では身に着かない。思考と行動は密接で、それが習慣になり、やがて人格になる。どこかで聞いたような話だが、きっとそれは真実だ。

外見だけ変わっても満足感を得らえるのは最初だけで、それぞれ中身が満たされなければ、結局幸せにはなれないのだ、という当たり前のことに改めて気付かされると同時に、いまの自分を最大限活かすにはどうすべきかをじっくり考えた方が、「一度でいいから美人と入れ替わってみたい~」と妄想するよりはるかに得策であると思い知らされる。とはいえ、女心が分かるイケメンと入れ替われるならまた話は違う気もするが、そうするとジェンダーに混乱が生じてくる。男女を超えた入れ替わりモノなら、前回紹介した『WHITE NOTE PAD』(ヤマシタトモコ/祥伝社)をぜひ読んでほしい。

著:坂井恵理
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この記事を書いた人

インタビュアー・ライター。主にエンタメ分野を中心に、著名人のインタビューやコラムを多数手がける。多感な時期に1990年代のサブカルチャーにドップリ浸り、いまだその余韻を引きずっている。

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