漫画家・ほそやゆきのによる『夏・ユートピアノ』には、表題作とともに、「アフタヌーン四季賞」2021春のコンテスト四季大賞受賞作で、宝塚音楽学校の受験に失敗してしまった19歳の朝顔と、これから受験を目指す中学生・胡桃の出会いを描いた「あさがくる」が同時収録されている。夢を諦めざるを得なくなった人間が、どんな過程を経て、再生を遂げていくのか――。夢破れた経験のある人ならきっと誰もが共感してしまうであろう、本作の魅力に迫りたい。
憧れのタカラジェンヌになれるチャンスは、何回まで与えられるのか?
「2002年4月2日(火)~2006年4月1日(土)までに生まれ、受験時に中学卒業あるいは高等学校卒業又は高等学校在学中の方。容姿端麗で、卒業後宝塚歌劇団生徒として舞台人に適する方」
そんな但し書きの後、宝塚音楽学校の合否発表の瞬間から幕を開ける本作。憧れのタカラジェンヌになるために、その養成所にあたる「宝塚音楽学校」を受験できるチャンスは、「最大4回」に限られている。これを多いと見るか、それとも少ないと見るかは人それぞれだが、「夢にも賞味期限がある」という意味では、かなり残酷ともいえる気がしてならない。
宝塚に入ることだけを目標に生きてきた19歳の朝顔は、ラストチャンスである4度目の受験に失敗。ずっと夢を応援してくれていたバレエ学校の先生も、無念さをにじませる。そんな最中、宝塚音楽学校を目指すバレエ歴5年の女子中学生・胡桃が、バレエ教室に入塾。先生から「胡桃の面倒を見てもらえないか」と相談された朝顔は、内心は複雑な思いを抱えながらも、周囲とうまくコミュニケーションが図れない胡桃に対して、手を差し伸べる。
「結局受かんないんだったら、もっと『楽しい』に時間を割いてもよかったんだろうか」と自問自答しながらも、先生に与えられた一見酷なようにも映る、「誰かの夢をサポートする」という新たな使命を精一杯果たしていく朝顔。そのうち、いつしか胡桃の成長を自分のことのように喜べるようになっていき、くすぶり続けていた思いに決着を付け、再び前に進んでいく。
夢破れ、ドン底の精神状態の自分に寄り添ってくれるものは……
執筆のきっかけについて、「賞に応募した自分の作品が全くどこにも引っかからず落ちた時、もしかしたら同じくらい苦しいのかもしれない……と思って、宝塚受験に落ちた人の話をテーマに決め、取材を重ねていった」と、作者のほそやゆきのがインタビューで語るように、ほそやが描く人生が自分の思い通りにならなかった人の内側に渦巻く複雑な心理描写には、何とも言えないリアリティがある。「あの時、夢の実現が不可能になったことよりずっと恐ろしかったのは、自分が誰からも必要とされていない事だった」という、朝顔が吐き出す切ないモノローグには、夢を断念した経験を持つ人ならきっと誰もが共感するに違いない。
夢を目指している最中に感じる、先が見えないしんどさと、それを目指すことさえできなくなった時に感じる、とてつもない疎外感。それこそ「すべてやり切った感」さえあれば、たとえどんな結果であろうとも、「これが自らの定め」と受け入れられるのかもしれないが、わずか19歳にして夢を絶たれた朝顔が、子どもの頃から心の支えにしてきた目標を失い、自分の存在のすべてを否定された気分に陥り、絶望に打ちひしがれるのも無理はない。
「努力は必ずしも報われるとは限らない」というのは、すでにある程度人生経験を重ねてきた人にとっては自明の理ではあるが、ドン底の精神状態の自分に家族や友人以上に寄り添ってくれるのは、ふと手に取った一冊の漫画だったり、一本の映画だったりするものだ。「同じような苦しさを抱える誰かの役に立ちますように」という、どこか祈りにも似た作者の思いが多くの名作を生み出し、きっと今日も世界のどこかで誰かの心を癒し続けているのだろう。
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