尾道・京都・東京・ロンドンなど、さまざまな都市に暮らす男女の「缶コーヒー」にまつわるささやかな日常をつづったオムニバス漫画『旅する缶コーヒー』。ページをめくるうちに誰もが「そういえば……」と自身の記憶の底に眠る「缶コーヒー」の思い出を語り出したくなってしまうような、時に甘酸っぱく、時にほろ苦い11篇のエピソードで構成されている。
初恋の人、同僚、親子、夫婦の感情の狭間を旅する「GEORGIA」「POKKA」「UCC」…
第1話は、旬を過ぎて仕事が無くなった元グラビアアイドルが、夢破れて生まれ故郷である広島の尾道に帰り、寒空のもと高校時代に初恋の相手と飲んだ「GEORGIA」を思い出す話。第2話は自動販売機で買いたかった缶コーヒーとは違う商品が出てきたことがきっかけで話すようになった会社の同僚と、京都のミニシアターに「ジム・ジャームッシュの3本立て」をオールナイトで観に行く話。第3話は、才色兼備だが冷徹でいけ好かない上司に、酔った勢いで東京・中目黒のマンションに引きずりこまれた後輩が、部屋中に並ぶ大量の「POKKA」の空き缶を前に、完璧そうに見えた上司の意外な一面を知る話……。
恋愛のみならず、長らく会っていない親子や同級生、夫婦といった幅広い設定の関係性の中に流れる繊細な感情を、「缶コーヒー」という誰もが馴染みのあるアイテムを触媒にクセのない絵でテンポよく描き、実在の商品名や固有名詞が随所に散りばめられている。作者のマキヒロチが本書の巻末で「『缶コーヒーのある風景』をテーマにするためにネタ集めに奔走し、そこから妄想を膨らませて描いた」と話しているだけあって、どれもが現実世界で起きた出来事であるかのようにリアリティーが感じられるのも、『旅する缶コーヒー』の特徴だ。
思い出されるのは、優柔不断な自分の戒めとなった「ダイドーブレンド」の缶コーヒー
ちなみに筆者の「缶コーヒー」にまつわる思い出といえば、学生時代にルーレット機能が付いたダイドードリンコの自動販売機で缶コーヒーを買った際、まさかの「アタリ」を引いたこと。だが、クジ運のない自分にそんな日が来るとは思ってもみなかったため、どれにしようか迷っているうちに、何事もなかったかのように「アタリ」のランプが消えてしまった……という、なんとも情けない思い出だ。まさに「幸運の女神には前髪しかない」を地でいくような出来事で、それ以来いつ「アタリ」がやってきてもいいように、自分が欲しいモノを思い描いて生きるようにしよう……と誓ったものの、残念ながらいまだそのチャンスは訪れていない。
「自分には特にこれといって『缶コーヒー』の思い出がない……」という人でも、きっと『旅する缶コーヒー』を読み終える頃には、忘れていた「あの日」の記憶が甦るに違いない。