同性愛がタブーとされていた時代を生きた恋人たちの葛藤を、認知症で記憶がおぼろげになり始めた85歳の女性・貴代子の現在を起点に、雪山で同級生と心中未遂事件を起こした戦後の女学生時代まで徐々に遡っていく……という、大胆な構成でドラマチックに描いた須藤佑実・著の『夢の端々』。同性婚を巡る議論が飛び交ういまだからこそ、“大人の百合”といった枠組みを超えて、「一人でも多く人に読まれてほしい。その上で、どんな社会であれば生きやすいのかを共に考えたい」と、願わずにはいられない一冊だ。
ある日、認知症の老女のもとを訪ねてきた友人の正体とは……?
認知症を患い、娘と孫さえ混同している85歳の伊藤貴代子のもとに、ある日、ハツラツとした園田ミツがふらっと訪ねてきて、旧交を温めるところから始まる本作。28歳で見合い結婚し、専業主婦として生きてきて、いまやひ孫までいる貴代子は、「私たち、もう少し遅く生まれてたら……って思うことない? もっと違う生き方だってあったのに……って」と、これまでの自身の生き方に後悔の念を滲ませる。
かたや、女性が社会で働くのが難しかった時代に、自ら会社を興し、編集者として働きながら生涯独身を貫いたミツは、「思わない。だって少しでも遅く生まれてたら、私もきよちゃんも別の人になってたわよ。一秒でもなにかが違ってたら、きっと私たち出会っていなかった。それはいやでしょ?」と、否定する。 それを受け貴代子は、自身の記憶があいまいになっていることを涙ながらにミツに告白し、「もうダメなの。こんな姿をあなたにだけは見られたくなかった」と嘆くが、ミツは「大丈夫よ。昔の記憶はずっと残ってるってよくいうじゃない。一番最後に残るのは、きっと私との思い出よ」と、やさしく手を伸ばす。途端、二人の姿も女学生時代に一瞬だけ戻る。なんとも美しいシーンだが、再会を誓ったその翌朝、ミツは交通事故であっけなく亡くなり、貴代子の回想という形で、この二人が単なる友人関係ではなかったことが明かされていく――。
老女が鍵付きの日記帖に隠していた「あるもの」とは……?
認知症を患う老女が物語の主人公である時点で、「社会派コミックか……?」と思いきや、「何故彼女たちはこういった結末を迎えたのか」という謎に迫っていくミステリー漫画のような趣きもあり、みるみるうちにその世界観に引き込まれ、ページをめくる手が止まらず、一気に読み終えてしまった。上・下巻ながらもその読後感たるや、“爽やかだが、どこかほの暗さのある”朝ドラ&大河ドラマを一気見したかのような、とてつもない壮大さがあった。
劇中、貴代子の孫娘が貴代子の部屋で見つけた鍵付きの日記帖を勝手に開けてしまうシーンがあるのだが、その日記の中に切り抜かれて入っていた小瓶の中身があまりにも意外で、筆者の予想の斜め上をいく代物であった。本作を読んだ日の夜、「あぁ、あの漫画を読んだからだ……(苦笑)」と、合点がいく悪夢となって現れたほどだ。小瓶の中身は、おそらくホルマリン漬けになっている、誰かの小指の先だった。物語は、1話ごとに「55歳、36歳、28歳、23歳、そして、雪山で心中を図った女学生時代の貴代子とミツ……」と、その時代背景と共に遡っていきながら、小指の謎に迫っていくのだ。
“描きすぎない”文学作品のような趣と、対照的なビジュアルで描くインパクト
興味深いのは、当時、二人の女学生が起こした心中未遂事件の裏側を追っていた新聞記者が貴代子とミツ、そして周りの友人たちに聞き込み取材を行う中で、雪山での事件の日を境に、「まるで二人の性質が入れ替わってしまったかのようだ」と感じる場面である。冒頭に記述した晩年の貴代子とミツの会話からは、ミツが心中の首謀者であるように見受けられたが、真相は全く違っていた。当時、女学校を卒業後に婿養子を取ることになっていたミツに、貴代子は「私は嫌いよ、そのお婿さん。卒業したばかりのみっちゃんを家に縫いつけるような男なんて、若葉を食い漁る獣も同然だわ」と差し向け、「本当はこの体も心も自分だけのもののはずだわ。誰かに傷つけられるんじゃなくて、どう傷つくかを自分で決めたい。だから一番幸福な時期に死ぬことにしたの――」と告げる。そして二人は雪山へと向かい……。
物語の核となる心中未遂後の二人の行動(当時、小指を巡って貴代子とミツの間で交わされたはずのやりとり)については、あっさりとしか描かれておらず、ことのほかサラリと読めてしまう。その後の貴代子の生き方が180度変わってしまったのは、必ずしも時代のせいだけであるともいえず、いまなお貴代子のように自身の選択を悔いながら生きている人がいるのだと、本書を読むと痛感させられるに違いない。“過度に描きすぎない”という点では、漫画でありながらもむしろ文学作品に近い雰囲気だが、輪郭のはっきりしない凡庸とした老女である貴代子と、天下無敵の妖艶な女学生であった貴代子が、同一人物として画で描かれるインパクトの大きさは相当だ。二人が貫いた愛の形を、ぜひ本書で確かめて欲しい。