
刊行から30年経っても古びない岡崎京子の普遍性
いまもなお、熱狂的なファンを持つ漫画家・岡崎京子が1989年に刊行した『ジオラマボーイ☆パノラマガール』。昭和の少年少女の憂鬱と希望を描いた本作は、男女の性愛を軽やかなタッチで濃密に描いた岡崎京子の作品群においてはかなりライトな位置づけの作品だ。刊行から30年以上が経過したいま改めて読み返しても、平坦な日常の中で悩みもがく少年少女の刹那的な視線が、街の風景とともに爽やかに切り取られていて、古びることのない普遍性を秘めている。
物語の主人公は、東京に住む平坦で平凡な高校生の津田沼春子。ある夜、橋の上で倒れていた神奈川健一にひとめぼれしてしまう。世紀の恋だとはしゃぐ春子をよそに、受験目前で衝動的に学校を辞めてしまった健一は、勢いでナンパした危険な香りのする女の子・マユミに夢中になっていく……
読み手の想像力に委ねる表現で生まれる切なさ
本書の中でもっとも印象的なのが、春子の身体に実のおばあちゃんが乗り移り、若かりし頃に想いを寄せていた「山田さん」を探しに行く「バック・トゥ・ザ・フューチャー’88」というエピソード。親に言われるがまま見合い結婚したおばあちゃんは「一度もトロけるほど人を好きになったり愛されたことがないんだ」と春子に切ない胸の内を打ち明ける。昔近所に住んでいた憧れの「山田さん」の写真1枚だけを手掛かりに、霊能者のみっちゃんの力に助けられながら、山田さんの家までたどり着く……
アニメではなく漫画という性質上、登場人物たちの声は読み手が脳内で勝手に想像しているだけであり、当然ながら画を見ただけでは春子の中身がおばあちゃんであることには気づかない。だがアニメや映画ではなく、あくまでも画と文字だけで表現された漫画だからこそ、この場面にこめられた春子に扮したおばあちゃんの述懐が、より切なく読み手の心に響くのだ。
変わりゆく渋谷の街並みと、実写映画に引き継がれた作品のパワー
今年(2020年)11月には、物語の舞台を昭和から令和に置き換えて、同名映画も劇場公開される。たとえ時代が移り変わっても、若者が抱えるアンニュイな日常は変わらない。しかし、岡崎京子と親交の深い小沢健二の名曲を登場人物たちが口ずさむことで生まれる違和感や、時代を超えた名曲を格好つけずに口ずさめるというクールさが、令和とあの時代との決定的な違いとして随所に見てとれる。かつて渋谷カルチャーの代名詞的存在だった渋谷PARCOも、建物の老朽化による建て替えのため2016年8月に一度幕を閉じ、2019年11月22日に復活した。PARCOは昭和から平成、令和へと時代をつないだが、スペイン坂や道玄坂から儚く消えてしまった施設や店舗を挙げたらキリがないほど、街全体の雰囲気はすっかり様変わりを遂げている。
映画の中で春子と健一を演じる役者たちの佇まいは、まさに岡崎京子の漫画の世界からそのまま飛び出してきたような瑞々しい魅力に満ち溢れていた。だが、この二人がまとう昭和の高校生には絶対出せない洗練された雰囲気こそが、まさに2020年の『ジオラマボーイ☆パノラマガール』を象徴しているとも言えるのだ。本来ならオリンピックが行われるはずだったこの2020年の東京で、時代を越えて愛される岡崎京子作品が放つ底知れぬパワーに、きっと勇気をもらえることだろう。
今こそ、読み直して漫画と映画双方の違いを楽しんでみよう。
