人間関係にはネガティブな“持ちつ持たれつ”もある
友人・知人にパートナー、仕事で関わる人、そして親や兄弟姉妹といった家族…… 自分を取り巻く人間関係にまったく一切の不満がない状態で日々を暮らしている人は、そうはいないだろう。
多かれ少なかれ気になることがあったとしても、お互いの「今、ここ」の平穏のために見て見ぬふりをしている。知らんぷりをしてあげ、してもらっている。
人間関係において、残念ながらポジティブなことばかりではない、そんなネガティブな“持ちつ持たれつ”についても、教えられずともいつの間にか学び、意図せずとも使いこなしているのが悲しきかな、わたしたちだ。
田島列島の『水は海に向かって流れる』には、そんな誰もがつい目を逸らしがちな、人の心のちょっとした汚れや淀みのような部分を真摯に見つめる鋭さ、そして手のひらで掬いあげる丁寧さがある。
ふと空から落ちてきた一滴の水のような“思いも寄らぬ因縁”
「……おじさんの彼女なのかな?」。『水は海に向かって流れる』の物語は、高校進学をきっかけに学校から近い叔父の家に居候することになった主人公・直達が、見知らぬ無表情な女性……アラサーOLの榊に最寄り駅へと迎えに来てもらったところからはじまる。
彼女と叔父の関係を誤解したまま案内された家で、直達は会社員から漫画家へと転身していた叔父と再会。叔父いわく榊は「ただのルームメイト」で、シェアハウスと化したその家にはほかにもふたりの同居人……女装の占い師・泉谷と、フィールドワークに忙しい大学教授・成瀬も住んでいることが明らかになる。
この奇妙な一つ屋根の下に、直達のクラスメイトで泉谷の妹・楓も顔を出すようになるなか、直達と榊の“思いも寄らぬ因縁”がだんだん表面化していき……というのが簡単な(と言っても既に一筋縄ではいかなそうな人間関係が垣間見えているが)あらすじだ。
「怒ってもどうしょもないことばっかり」かくも、人間関係とは難しい
物語のキーとなる直達と榊の“思いも寄らぬ因縁”。しかし本作は、その関係性から想像されるドロドロとしたものだけを、ドラマティックに煮詰めていくものではない。
榊のセリフに「怒ってもどうしょもないことばっかりじゃないの」というものがあるが、彼らの周囲を含めたその人間関係のあり方、そしてその感情の機微については、コミカルなやり取りを織り交ぜつつもリアルな“落としどころ”と地続きであるのが、本作の、そして田島列島の作風の上手さが光っているところである。
第1話、意味ありげに出てくる「ポトラッチ(作中の文言を引用すると「北米の北西海岸に住んでた原住民が冠婚葬祭に合わせて宴会をして呼んだお客さんとアホほど贈り物をし合う祭り」)」を筆頭に、特に食事や食べ物を介した“持ちつ持たれつ”の描写も全編にわたって印象的だ。
さまざまな感情のこもったその“持ちつ持たれつ”に、現実を生きるわたしたちもつい自分の身の振り方を振り返ってしまう。かくも、人間関係とは難しい。
かの歌謡界の女王の代表曲ではないが、人間にはその時その場の流れに身を任せると、清濁併せ呑むなかでたどり着くべきところにたどり着くこともある。印象的なタイトルからはじまる物語の流れ着く先、身をゆだねてみると気付くものがきっとあるはずだ。