ありのままの自分を受け入れることの大切さを教えてくれる『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』

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志乃ちゃんは自分の名前が言えない
『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』(押見修造/太田出版)

※ネタバレあり

子どもの頃から家族で遠方に出かける際は、車に乗った瞬間から降りるまで延々ひとりで喋りつづけ、親戚には「口から生まれてきた」とさんざんからかわれていた筆者。だがひとたび学校に行くと引っ込み思案で、自分からは絶対に手を挙げないどころか「どうか当てられませんように……!」と、授業中はひたすら下を向いて先生の目に留まらないことを祈りながら身を固くして、逆に「書くこと」で自分を表現しつづけてきた。ずっと「しゃべること」と「書くこと」しか取り柄のなかった自分が、いまとなっては「聞くこと」に徹するインタビュアーを生業としているのは不思議な気もするが、数年前、とある出来事をきっかけに一時的にどもるようになり、人知れず言葉と格闘していた時期があったことを考えると、「しゃべること」「聞くこと」「書くこと」が一体化した現在の仕事に、どこか必然性を感じずにはいられない。

著:押見 修造
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悩みを抱える高校生が、葛藤を乗り越え、殻を打ち破る様を繊細に描いた感動作

『血の轍』や『惡の華』などで知られる漫画家・押見修造による『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』は、吃音に悩む高校一年生の大島志乃が、音楽好きだが音痴であることがコンプレックスな加代と出会い、フォークデュオ「しのかよ」を結成。思春期特有の壁にぶつかりながらも、葛藤を乗り越え、自らの殻を打ち破る様を繊細に描いた感動作だ。

母音から始まる単語を発声するのは苦手でも、歌なら言葉に詰まらず歌える志乃と、音痴だけどギターの腕は確かな加代がコンビを組み、文化祭でオリジナル曲を披露することを目指し、不器用ながらも徐々に心を通わせていく。路上ライブを足掛かりに懸命に練習に励む二人だったが、志乃の吃音をからかう“空気の読めない男子”菊地の登場により、「しのかよ」に亀裂が生じてしまう……。結局、文化祭のステージに一人で立ち、自らギターを弾きながら必死で歌う加代の姿を目にした志乃は、音痴であることを笑う学校中の生徒たちに向かい、ずっと表に出せずに自分の内側に閉じ込めていた感情を爆発させ、涙ながらに思いの丈をぶちまける。

筆者がこの漫画を知ったのは、2019年に公開された湯浅弘章監督による同名の実写映画がきっかけだが、短期間でも吃音をわずらったことのある身としては、「自分の名前すらうまく言えない志乃」の気持ちが痛いほど分かって、涙なしには読めなかった。映画版では『ドラゴン桜』でも話題の女優・南沙良が、主人公の志乃を鼻水を流しながら熱演し、現在放送中のNHK連続テレビ小説『おかえりモネ』でヒロインの妹役を演じている蒔田彩珠が、加代を好演している。

漫画という形で臨場感たっぷりに表現する思春期のとてつもないエネルギー

本書の「あとがき」によると、『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』は、作者の押見修造の経験を下敷きにして描かれているというが、「ただの吃音漫画にはしたくない」との想いから、「あえて本編のなかでは“吃音”や“どもり”という言葉を使わなかった」という。

筆者の場合は自身の体験と重なったことから自然と感情移入してしまったが、志乃や加代、そして志乃からすれば“邪魔者”でしかなかったはずの菊地が抱える悩みには、きっと誰しもが持っているコンプレックスと重なる部分もあるはずだ。自身の振る舞いと心に齟齬が生まれやすい年代の中・高校生ばかりでなく、大人になっても自分の弱さを克服する機会を持てずに、「見て見ぬふり」をしている人たちもきっと多いに違いない。

自身が吃音だったことで「人の表情や仕草から感情を読み取る能力が発達し」「漫画で表情を描くとき、すごく力になっている」と明かし、さらに「言いたかったことや、想いが、心のなかに封じ込められていったお陰で、漫画という形にしてそれを爆発させられた」「つまり、吃音じゃなかったら僕は漫画家にはなれなかったかもしれない」と押見自ら分析しているように、「吃音」や「どもり」という言葉をあえて使わずに、志乃が身体中の筋肉をこわばらせながら、汗や涙にまみれて「おっ! おっ!…っ…! お!お!お!お!お!」と自己紹介しようとする姿を、漫画という形で臨場感たっぷりに表現する作品からは、読んでいるこちらも思わず体温が上がってしまうほどのとてつもないエネルギーが伝わってくる。

なかでも、志乃が「誰にも喋らなければバカにされない」からと「逃げて」いても「私が追いかけてくる」と、身体を震わせながら全身で訴えかけるシーンは非常に衝撃的だった。「私をバカにしてるのは、私を笑ってるのは、私を恥ずかしいと思ってるのは」「全部私だから」と悟り、「私は、おっおっおっおっ……大島志乃だ!」「これからも……これがずっと私なんだ」と初めて自分を受け入れる。その晴れ晴れとした泣き顔は、どんな笑顔よりも美しい。

人は自分の弱さを受け入れた時、ようやく一歩前に進めるものなのかもしれない。たとえそれがどんなに小さな一歩でも、確実に自分の未来を切り拓く。『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』は、そんな大切なことを教えてくれる一冊だ。『ドラゴン桜』や『おかえりモネ』で南沙良や蒔田彩珠が気になった人にも、ぜひ実写版と併せて読むことをオススメしたい。

著:押見 修造
¥711 (2024/04/16 09:34時点 | Amazon調べ)
出演:南沙良, 蒔田彩珠, 萩原利久, 山田キヌヲ 脚本:足立紳  監督:湯浅弘章/コロムビアミュージックエンタテインメント
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この記事を書いた人

インタビュアー・ライター。主にエンタメ分野を中心に、著名人のインタビューやコラムを多数手がける。多感な時期に1990年代のサブカルチャーにドップリ浸り、いまだその余韻を引きずっている。

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