まさにこの季節にうってつけの爽やかなファンタジーコミック『8月のソーダ水』は、エーゲ海のサントリーニ島やミコノス島あたりの街をモデルに描かれた短篇「海のびんづめ」「風の旅人」「まぼろしの街」「灯台の散歩」「海迎えの日」「月の帰還」と、2009年に高知新聞で連載されていた「うわのそらが丘より」が収録されたオムニバス。ページをめくるたびにブルーと白を基調としたオールカラーの美しさに目を奪われ、幼い頃の自分と出会ったかのようなノスタルジックな気分に浸ってしまう。コロナ禍で小旅行も叶わない今、自宅に居ながらにして旅をしている気分が味わえる、本作の魅力を紹介したい。
脳内BGMは荒井由実の『海を見ていた午後』
あとがきによればタイトルの『8月のソーダ水』は、ボサノバの名曲『3月の水』にちなんで名付けられたそう。だが筆者がこの漫画を読むときの脳内BGMは、“ソーダ水の中を~貨物船がとおる~♪”の荒井由実の『海を見ていた午後』一択だ。目の前に広がる水平線に浮かぶ貨物船ではなく、あえてグラスに注がれたソーダ水越しの貨物船を見つめてしまうその乙女チックな視点こそが、この漫画の持ち味だと感じるからだ。
物語の舞台は翠曜岬と呼ばれる架空の海辺の街。どこか遠くの国から様々なものが流れ着く浜辺で、ある日ガラスのバイオリンを拾った少女リサと、その友人・もな子が過ごす忘れがたい夏の一コマを、いつまでたっても色あせぬよう“びんづめ”したかのような世界がそこには広がっている。
ラムネ屋のおじさんの素敵な“与太話”と喫茶ソワレの「ゼリーポンチ」
なかでも象徴的なのは、冒頭の「海のびんづめ」に登場するラムネ屋のおじさんが語る、“海のガラス”にまつわるお話だ。
「たまに昼間でも満月が見える日があるだろ そんな日に波が砕けてとび散った水玉が、満月の真似して固まっちまったのが海のガラスさ」
その夜リサがベッドの中で、ラムネの瓶からおじさんに手品で取り出してもらったビー玉を宙にかざしながら、「ラムネ屋のおじさんの話だから本当かどうか分からないけど……あのラムネを飲んだ日にはきまって海の中の夢を見るのです」とささやく場面の「白」と「ブルー」が涙が出るほど完璧すぎて、得も言われぬ幸福感が心の奥の方からこみあげてくる。
京都の西木屋町にある「喫茶ソワレ」のあの見目麗しいゼリーポンチが好きな人なら、きっと共感してくれることだろう。あのブルーの世界に溶け込むときと同じような感覚が、本のページをめくるたびに味わえるのだ。
心を動かされるのは「この光景を見たことがある」と感じさせてくれるもの
漫画でも映画でも音楽でも小説でも、筆者がいつも決まって心を動かされるのは、決して同じ記憶があるはずもないのに、「わたしはこの光景を確かに見たことがある」と感じられる瞬間だ。自分が知っている感覚だけに心を動かされるなんて、想像力が乏しいと思われても仕方がない気もするが、これまでの経験を振り返ってみるとそんな共通点が浮かんできた。
「卵が先かニワトリが先か」ではないが、きっとこれまで何十年ものあいだに浴びてきたフィクションの記憶と幼少期からのリアルな記憶がごっちゃになって、いまの自分の記憶を形成しているからこそ、そんな楽しみ方が出来るのではないかと思う。『8月のソーダ水』は、空想の世界でならコロナ禍でも自由に旅に出られることを思い出させてくれる一冊だ。